20140927 サトケンの出ている某作品を見に行く。    | .

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 なかなかに好き嫌いがハッキリしていることはもはや自慢だ。すぐに人を嫌いになることができるのだ。向こうから歩いてくる面識のない二人の人物をものの10秒で嫌いになったこともあった。諸々の理由は省くけれども,大雑把に言えば「こんな時刻なのに表情も歩き方も変えないから」であった。漠然と理解してもらえればそれでよい。その場に居合わせた板木企画(架空の名称)の主宰である板木くん(仮名)に「よくそんなすぐに人を嫌いになれますねー」という驚きとともにお墨付きをいただいた程だ。この「好き嫌いハッキリ」は,病の域を超え,個性となった。個性なのだから仕方なく受け入れている。むしろ何かに生かされることもあるのだろうと,どっかり構えている。せめて自慢してもよいだろう。でもどこかで,「え?本当は皆さんもすぐに人を嫌いになってるんでしょう???ウソがお上手なだけで(笑)」などと思っていることも確かである。


 私のこの「個性」は,そのへんの人たちに対してだけではなく,例えば本やタレントやら,携帯電話会社やら予備校やら大学やら,そういうものに対しても存分に発揮される。つまり,嫌うような要素が一つでもあれば,いや例えそれがなかったらなかったで構わないのであるが,深く知りもしないクセに「ああ,ああいうのは見ない見ない」「ああ,ああいう感じのヤツでしょ?終わってるよね」「ああ,あのタレントはエセだよ」「ああ,あそこのショーヒンは使わない使わない」「ああ,あそこの学生は出来が悪い出来が悪い」「ああ,代ゼミじゃなきゃダメ代ゼミじゃなきゃダメ」などとバッサバッサと斬っていく。きっと「深く知れば一気にその考えはくつがえさせられるであろう臭」のする,いわば「頑ななくせに脆弱な先入観」としてあらわれてしまうのである。


 自分の関わっていないモノに対してはほぼこういう先入観でいる。自分の使っていない携帯会社は,ダメ。自分が通った予備校以外は,ダメ。それがエスカレートしていくと,これ,読んでいてムカムカするだろうけれど,いつか「私が出ていない作品はそれだけで欠陥品です」とでも言ってしまうのではないかと自分でヒヤヒヤしている程である。


 であるからして,小屋管理時を除いて,そもそも芝居を見に行くこともなければ,人様に勧められた本を読むことさえない。「これ面白いよ!」と貸してくださった『ワンヒ○ース』もセリフの多さと,どこになにが描いてあるのか頭がこんがらがっちゃう迷路みたいな絵柄がどうしても肌に合わず,1巻の途中で挫折したほどである。こればっかりは,残念ながら先入観がくつがえされる前にイヤになった。


 ただし,全くの食わず嫌いではないことに注目である。人様が誰様なのかによっては,すんなり勧めを受け入れることもあるのである。つまりは実際の作品云々より「誰が」それを勧めてくれたかが大事,ということである。それによって,読む読まない無視するが決まる。『ワンヒ○ース』だって,私にとって大変ありがたい存在であるあの手品師のシロツキさん(仮名)からの勧めだったからこそ,読み始めたのであった。そう,自分にとっての「誰様か」が大事なのだ。そう,人との関係性には間違いなく順番&優劣があるということなのであろう。


 

ところで,私の好き嫌い&「頑なで脆弱な先入観」はもちろん映画鑑賞時にもきっちり発揮される。かつて『シカゴ』か『戦場のピアニスト』かの選択をする際,知人の「絶対にシカゴだって!」という言葉をさも納得したかのように完無視して『戦場のピアニスト』に行ってしまい,あまりにも衝撃的すぎて終幕後立ち上がれなかったのはいい思い出である。その作品を選択した理由の一つに「ピアノの方がカッコイイに決まってっだろ」というものがあったが,いやはや本当に衝撃的であった。一度ご自慢の液晶テレビで見てみるがいい。おそらく立ち上がれなくなるハズである。これで何とも思わないなら不感症すぎるから思い切って幼稚園からやり直すべきだ。


 ま,『シカゴ』とか『戦場のピアニスト』とかそういうのならば良いのだが,例えば勧められた映画が「コミック原作の実写!」となると,見る前からもうガッカリするのである。手のひらを上に向けてまゆをひそめて首を振りたくなってしまう。そもそも「実写=失敗」という方程式さえ成り立ちそうな世論であり(人様に勧められて漫画原作の実写を見たのは,宇宙兄弟とテルマエ・ロマエ1と2,ともにとっても面白かった。・・・アレッ?)とにかく自分から見に行くことはない。その原作が自分の大好きな作品であれば,怖いもの見たさで映画館に行くかもしれない。関心を寄せやすいからである。ドラゴンボールに関してはアメリカでの実写だったので興味を持てなかったが,まあ好きな原作であればそれなりに関心は持ってしまうかもしれない。キン肉マンの実写があれば,怖いもの見たさで映画館に行くであろう。


 しかしながら,今回の某作品は,「アニメもやっていたのは知っているけれど,なんか絵柄が人気取りのウケばかり狙っているようで信念というものをまるで感じられないからなんかイヤ」「とくに髪の色がスラムダンクと一緒だから結局はパクリ」という,これこそ「頑なな先入観」によって,まさに食わず嫌いをしていた作品であった。世間で如何に流行っていても見ることはない,むしろ見てやるもんか,そういう決意であった。そして,その実写映画に出ている俳優も食わず嫌いであった。「はあああっ?ケン????ニューホライズンに出てきそうな名前だな(笑)」そんなことを思っていた。



 そして自分の中で次のような図式が成り立った。



「単なるチャラチャラした時代劇風の茶番を見に行くヤツ=ダメなヤツ・わかっていないヤツ・ただのミーハー」






そう思っていた・・・



・・・でござるよ。



人斬りだった頃の拙者(せっしゃ)はそう思っていた・・・でござるよ。



続けざまに続編が上映され爆発的ヒットを飛ばしているあの映画を実際に見るまで,あんなにすごい俳優の名前を,「サトーケンさん」と誤読していたでござるよ。おっと,気づいたら彼の口調までうつってしまっているでござるよ。かおる殿も,この口調を使ってみるといいでござるよ。江口洋介と福山雅治のツーショットを見たかったでござるよ。でもパンフに二人が並んでいたでござるよ。これはすごいことでござるよ。


少年ジャンプは,ゆでたまご先生と鳥山明先生だけではなかったでござるよ。





続く。