アルボムッレ・スマナサーラ長老(テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)) の著書は大好きで色々読ませて頂いているんですが、昨日偶然日本テーラワーダ仏教協会のサイトを見つけ、その中のQ&Aに下記のようなものがありました。
幸福は「今」得るもの
一般的な生きる道
一生懸命苦労して、畑を作って、後で結果として作物が採れる。土をいじって、肥料をあげ、水をあげ、雑草を取る。つらい重労働でも、やらなければならないからやる。
なぜならば結果として、いろいろな作物が採れて、自分のもとに入ってくるのだから。その目標のためにがんばる…。
ずっと苦しんだら、ちっぽけな幸福が出てくる。
会社の仕事にしても、1ケ月間仕事をしたら1回だけ給料をもらう。
そしてそれはすぐ消えてしまう。毎日苦労して、幸福の瞬間はほんのわずか。それが世俗的な論理なんですね。
仏教的な生きる道
それを仏教の考え方で考えてみると、畑を作ることも幸福であって、水をあげることも幸福であって、肥料をあげることも、雑草をとることも幸福、そしてどんどん成長を見守っていることも幸福であり、実ったところで作物を取り入れることも幸福、そういうふうに、全部が幸福でなければならないと考えるのです。
苦しんでからの結果の幸福ではなくて、道自体も楽しい道でなければなりません。
どこかに面白いところがある。誰でもそこへ行って遊びたい。
では行こうということになると、道中の乗り物も楽しいし、旅の途中で食べるものも、見るものも、楽しいし、寄り道したり、みんなで歌ったり踊ったりして行くこと自体も楽しい。そして、目的地に着いたら着いたで、また楽しい。
仏教というのはいわばそんな道なのです。仏道というのは、たとえわずかでも苦しいものではないのです。もしも苦しいというならば、我々がどこかで、何か、固定観念に引っぱられているということなんですね。
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一瞬一瞬、幸福と感じるのも自分、不幸せ・苦労していると感じるのも自分。選択をしているのは、誰でもない、自分ですものね。