おはようございます。
とうとう今日で2月も終わり。本当に 「逃げる」 ような月でした。
ラスト1日、無駄にしないよう、やる事をやりましょう。
さて、今日は、わたしのメンター(師匠や目標となる人)の方たちや直近でお話を聞いた方たちを見てて思うことを書いてみようと思います。
こういう人たちに共通するのが、
「社会への貢献」 というマインドです。
「社会貢献」 というと、捉えようによっては、裏に政治的背景を持った “うがった” ボランティアや、または 「偽善」 的なニオイも感じます(実際、わたし自身こういうのが大っ嫌いなので)が、そういうのではなくはっきりと
「儲けましょう!」
とおっしゃってますし、そのためには 「ウソも方便」 的な小細工も労した話もされています。
そういうお話の中で、例えば、とあるコンサルタントの先生は、ご自身のクライアントで実際にあった出来事(以下3点)、
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①、ある写真館に、障がいを持ったお子さんを抱えたお母さんが、その子の七五三の記念写真を撮ってほしいと来店した時、とても可愛くその写真を撮ってあげた後にその仕上がりを見せると、お母さんが大粒の涙を流して喜んだとのこと。
その時に、写真館のご主人は 「俺はただ写真を撮っているのではないんだ。やり方によって、こんなに人に喜んでもらえるんだ。」 と思った、というエピソード。
②、ある美容室に、ある不登校の女の子が髪を切りに来た時に、その美容師さんはとても可愛らしくその女の子の髪を切ってあげました。その子はとても喜んで帰っていき、次の日からまた学校に通い始めたそうです。
この美容師さんは 「ああー、かわいく切ってあげてよかったー。」 と思った、というエピソード。
③、ある化粧品販売の女性が、ボランティアで、特別養護老人ホームのおばあちゃんにメイクをしてあげに行ったそうです。 きれいに化粧をしてもらったおばあちゃんはとても喜んで、ぼけが進んでいたのが、次の日から元気になった、というエピソード。
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を並びあげ、
「こういう、お客さんに “喜び” を与える、心豊かなサービスを施すことによってお客さんの“心からの”支持が得られ、値段なんかに左右されない商売ができるんですよ。」
と言われ、また、こういう事で
「自身の天命を意識するとやり甲斐が出てきますよ。」
とも言われていました。
また、先般も書いた、日本での 「キッザニア」 創業者・住谷栄之資氏は、キッザニアを日本で導入する際のビジネスの可能性分析(平たく言えば「儲かるか、儲からないか」の話)について語られた後、
「この “子供たちの職業体験” というキッザニアの発想は、必ず子供たちの情操教育に大きく役立つ。」
と言われ、その言葉のおっしゃり方からも、強い 「志」 を隠しきれない感じがしました。
これらお二人の例を見ても、
双方、「ビジネスを成功させましょう」 という、“即物的” な側面と、 「社会に役立つことをしましょう」 という “社会貢献” の側面をすんなりときれいに融合させておられます。
言い換えれば、この人たちの目指すところは、
「自分の成功を目指すことが、
社会を良くすることとリンクする」
ということではないかと思います。
わたし自身、以前勤めていた会社で、役員同士が自分たちの私利私欲によるテリトリー争いをしているのを見て、同僚たちと言っていたことがあります。
「自分たちの “私利私欲” を満たしたいなら、 “公利公欲(会社全体のためを優先すること)” を満たすように動けば社員の支持が得られて、結果的に自分の “私利私欲” が満たされるのに・・・」
と。
わたし自身、欲の深い人間ですから、キレイ事なんて言うつもりはなく、やはりこの、
「自分たちの “私利私欲” を満たしたいなら、 “公利公欲” を満たすように動けば、結果的に自分の “私利私欲” が満たされる」
という発想があります。
「私利私欲」 のために 「公利公欲」 を追って、結果 「私利私欲」 が満たされ、社会への貢献にもなる、って願ったり叶ったりだと思いますもんね。
「キレイ事」 だけではない、「現実的」 な部分を追求しながらの社会貢献なら、どんな業者でも当てはめることができるのではないかと思います。
昨日、ふと そんな事を思い出したので、ちょっと今日書いてみました。
という「志」と、ビジネス性という「即物性」を兼ねながら
成功した。