6.29首相官邸前抗議 | 断片的な日々 

6.29首相官邸前抗議

6月29日、都内の首相官邸前で、大飯原発の再稼動ならびに国の原子力政策に反対する抗議集会が開催された。


この抗議集会はすでに毎週金曜日に開催されてきたものだが、回を重ねるごとに参加者が増加している。


29日当日、筆者は開催前の17時30分に現地に到着したが、すでに多数の参加者が集まっていた。これまでは、開催前には国会記者会館脇にいくらかの列を成している程度だったが、29日はすでにその隊列は長く、霞ヶ関に隣接する六本木通り近くにまで達していた。これは、筆者の経験では6月15日の集会の終了時に匹敵するほどの人数であった。


断片的な日々 
国会記者会館脇に集まった参加者 撮影 筆者


断片的な日々 
内閣府裏手の集まる警備の警官諸氏 

車両のナンバーは「多摩」が多く目についた 多摩地区からの動員か


断片的な日々 
急速に増える参加者


断片的な日々 
いつもは人通りも少ない永田町に外が続々と集まる まだ18時前


断片的な日々 
手製の横断幕やプラカードは3.11以降によく見かける定番


断片的な日々 
隊列の一方はついに六本木通りを越え、霞ヶ関方向に


断片的な日々 

財務省まで達した隊列の一方 18時30分頃


18時になって抗議行動が開始されたが、あまりの人の多さに身動きが出来なくなると判断した筆者は、議事堂などの周辺から周囲を回りこむような動きをすることとした。


断片的な日々 

官邸前から延びた隊列


隊列は、①霞ヶ関方向、②内閣府裏手を外堀通り方向、③丸の内線「国会議事堂前」沿いを議事堂を取り囲む形での方向、④国会図書館方向、⑤議員会館脇、などに伸びていた。①以外は、警察はあまり隊列が長くならないよう、車道にある程度ははみ出すことは仕方が無いような整理を進めたように感じた。


19時を過ぎる頃には、随所で歩行者に対しての規制が強化されていた。走り回ってやや疲れていた筆者は、溜池山王方向の坂道を少し歩いて、「ここなら歩行者も少ないので、少し休めるだろう」と判断し、通行する歩行者の邪魔にならないようガードレール寄りに立ち止まった。すると、すかさず警官から「立ち止まらないでください」と注意を受けた。「疲れたので、少し休むだけですから」と平身低頭に申し出たが、「立ち止まることはできません。赤坂まで行けば構いません」と指示される。根性の無い筆者は、諦めて議員会館前まで戻ることにした。


議院会館前付近では、警備の警官数名に「帰りの地下鉄」について聞いたが、「『国会議事堂前』は無理でしょう。『永田町』か『溜池山王』、または『霞ヶ関』まで歩いてください」との説明だった。しかし、筆者のすぐ後ろには『国会議事堂前』に通じる通路のひとつがあり、人の利用や通行も何ら問題が無かった。動員による不慣れな警官が多いのかと感じた。意図や詳細は不明だが。

増え続ける参加者と、情け無いことに自身の疲労により、いよいよ身動きができなくなり第一議員会館前付近から様子を伺っていると、19時39分頃になって、警察車両が官邸前に集合し、議事堂ならびに記者会館や衆議院第二別館の脇から官邸前に直面する道路を封鎖した。


断片的な日々 
官邸前の道路を封鎖する警察車両


その光景を見ていた筆者は、一瞬不安になったものの、すぐに道路に参加者があふれ出し、警察も対処ができなくなったことを、参加者や現場にいた知り合いのジャーナリスト諸氏などから携帯電話などを使って確認した。


官邸前の道路は、19時30分過ぎにはすでに膨大な数の参加者によって寿司詰め状態だったことを後に複数の証言や航空写真などで確認した。


その後、主催者から「集会の終了」が告知され、20時を待たずに帰宅する参加者が地下鉄へと向かいだした。その一方で、現場に残る参加者も多数いた。官邸前からのびる道路は、さなから歩行者天国のような状況だった。


断片的な日々 
集会終了後もその場に残った参加者の一部 以下3枚は同様の状況


断片的な日々 

断片的な日々 

断片的な日々 

筆者が撮影や参加者やスタッフに取材を続けていると、警備の警官が「ここは歩行者天国ではありません。速やかに退去してしてください」と拡声器で指示を繰り返していた。参加者は、地下鉄の国会議事堂前、溜池山王、霞ヶ関、永田町などから帰宅していった様子だった。車両等による退去者は少ないようだった。


筆者は当初、国会議事堂前の構内までたどり着いたが、人ごみがいくらか空いてきたので、官邸前に戻って取材を繰り返した。その後、霞ヶ関まで下ると、経済産業省前のテントには、かなりの人が集まっていた。


抗議集会の参加者は、警察発表と主催者発表ではかなりの隔たりがあるようだ。この点についてネットなどで論議されているが。時間がかかるものの航空写真などである程度の数は割り出されるのではないとか思われる。


極めて断片的な報告で恐縮だが、とりあえず現時点で整理できたものをここに掲示するものである。