妄言を繰り返すばかりの中村克氏の「整理」を整理する 6 | 断片的な日々 

妄言を繰り返すばかりの中村克氏の「整理」を整理する 6

著作権侵害である可能性が極めて高く、しかもその当事者の行為と発言等が極めて悪質であると指摘される『最後のパレード』(サンクチュアリ・パブリッシング発行)に著者としてクレジットされている、自称コンサルタント業の中村克氏が、自らのサイト「外部の専門家」において公開した、〈「最後のパレード」事件を整理する〉(後に〈「最後のパレード」事件とは何だったのか〉に変更)と題する記事について、さらに検証を続けさせていただきたい。


2009年12月23日
「最後のパレード」事件とは何だったのか
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13600314.html


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私は、匿名ネットテロリストを恨んでも憎んでもいない。大前研一氏も書かれていたが、みな普段はやさしい普通の人たちだ。読売新聞の「悪者中村をたたいてよし」というサインを受け取り、普段はミツバチの自分を、凶暴なスズメバチの自分に変身させてしまうのだ。

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これは単なる中村氏の「感想」または「意見」に過ぎない。ただし、ここでも「匿名ネットテロリスト」なるものが存在し、「凶暴なスズメバチ」のように攻撃的活動を行っているという前提で記述を進めている。だが、その具体的な根拠や実例は、やはり何一つ示されていない。


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キリスト教では厳しく禁じられている「私的制裁(リンチ)」という罪を多くの日本人は容認している。市橋容疑者の両親も「怖くて外出できなくなった」と語っているが、まさに当事者でなくては分からない苦しみなのだ。

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「日本人の多くが私的制裁(リンチ)を容認している」という記述があるが、それを裏付ける具体的な証拠や確証、実例等を中村克氏は一切提示も説明もしていない。こうした「根拠のない決め付け」は、中村克氏の文章には非常に多く見られる。そして、その「決め付け」や「憶測」をそのまま「事実」として記述が進められるケースが、中村克氏の文章にはきわめて多い。そのため、中村克氏の文章内容は、最初の段階から間違っているケースが非常に多いことは明白である。


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匿名ネットテロリストが追い求めているものとは、「ざまあみろ」と言うことができる自分だ。実際に私の家には「ざまあみろ」という電話がかかってきた。録音してあるのでネット上で公開もできるが、私はその選択をしない。なぜならば、前述したように彼らは普通の人たちであり、決して根っこから悪い人間ではないと考えているからだ。「中村 克」でストレスを発散しているだけだからだ。

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ここでも、具体的な説明や確証もないままに、またも「~である」という断定的な文が唐突に始まる。最初の「匿名ネットテロリスト~自分だ」の部分も、何の確証もない。したがって、中村克氏の憶測にすぎない可能性が極めて高い。そして、中村克氏がそのように決め付ける証拠は、どこにもその存在が認められない。


さらに、「私はその選択をしない」などの記述によって、あたかも自らを人格者であるかのように表現している。しかし、そうした価値観の表明は、客観的な事実に対するものではなく、あくまで中村克氏という個人の「感想」という領域にとどまっていることは容易に確認できる。つまり、「自分は気分を害したが、特に気にしていない」という程度のことであり、ことさらに強調する必要のあるものではないし、その価値もない。



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東村山市の匿名ネットテロリストよ、もういいではないか。あなた方は勝利したのだ。勝利の美酒を何回も味わったのだ。私は、あなた方を攻撃していない。私のような報道被害者を生みださないように、あらゆる手を使って読売新聞に責任を認めさせるよう前向きに行動する。あなた方が矛を収め、前向きに歩むよう心から祈りたい。

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このあたりの記述は、すでにタイトルにある「~とは何だったのか」という分析や検証めいたものではなく、そのほぼすべてが中村克氏による「妄想の中での独白」で占められていることが明確になっている。


ここで、中村克氏は自らを「報道被害者」などと呼んでいるが、それを具体的に示す証拠や確証は、何一つ提示も指摘もなされていない。なぜなら、中村克氏は「読売の記事は誤報だ」なとど繰り返しているものの、どのような間違った報道がなされたのか、具体的な説明や指摘を一切行っていないからである。


さらに、「あなた方」と呼ぶ対象に対して、「矛を収め」などと表現しているが、中村克氏に対して続けられているのはあくまで「追求」に過ぎず、不当な「攻撃」とはおよそ認められない。


(つづく)