妄言を繰り返すばかりの中村克氏の「整理」を整理する 5 | 断片的な日々 

妄言を繰り返すばかりの中村克氏の「整理」を整理する 5

著作権侵害の可能性が極めて高く、しかもその当事者の行為と発言等が極めて悪質であると指摘される『最後のパレード』(サンクチュアリ・パブリッシング発行)に著者としてクレジットされている、自称コンサルタント業の中村克氏が、自らのサイト「外部の専門家」において公開した、〈「最後のパレード」事件を整理する〉(後に〈「最後のパレード」事件とは何だったのか〉に変更)と題する記事について、さらに検証を続ける。



2009年12月23日
「最後のパレード」事件とは何だったのか
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13600314.html


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サンクチュアリ出版側の集団知能指数がもう少し高ければ、私は今でもだまされていることに気付かなかったかもしれないと思うと、なんとも複雑な心境だ。

(外部の専門家〈「最後のパレード」事件とは何だったのか〉より引用。以下同)

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この箇所では「集団知能指数」という、あまり一般的ではない用語が使用されている。こうした、一般的とは認められない抽象的な表現によって、読み手の判断を混乱させる手法は、特に珍しいものではない。


ここで中村克氏は、「だまされている」という表現を明確に使用している。つまり、改めて自らの落ち度や不手際、不誠実な態度や言動について、認めている可能性が低い、あるいは高くはないということが確認できよう。



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7、読売新聞社の対応

6月に「なぜ平日の営業時間帯に現場を取材しなかったのか」という内容の質問状を読売新聞社に郵送したが、いまだに回答はない。今後、この記事の内容を含め、「盗用」と報道したことは記者としての行動規範に違反しているのではないかという質問状を出していきたい。(無視するだろうが)

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上記の質問状は、まったく意味がないことは言うまでもない。表現や報道にかかわる個人や団体は、自らの良識とその場合を判断し、一般常識に照らして逸脱のない範囲で取材活動を進めている。だが、ルポルタージュの取材について、どの時間帯に行うべきかを明確に示したものなど、筆者の知る限り日本のどこにも存在しないし、するわけがない。なぜなら、そうした基準を明確化すれば、ただちに取材活動の制限になるわけであり、ひいては表現の自由を保障した日本国憲法にも触れる可能性が否定できないからである。したがって、読売新聞社ならずとも、「なぜ平日の営業時間帯に現場を取材しなかったのか」などという質問に答える可能性はきわめて低い。そうした「質問状」は、クレームにも及ばない、単なる苦情、あるいは「いやがらせ」の類と判断されても不思議ではない。


また、〈「盗用」と報道したことは記者としての行動規範に違反しているのではないか〉という記述にしても、中村克氏が『最後のパレード』における状況について、「盗用ではない」という具体的な確証を提示しない限り、いかなる「質問状」も無視されて当然と考えるほかはない。これは、読売新聞社だけでなく、常識ある法人および個人であれば、同様の行為を選択するであろうことは論を待たない


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8、「最後のパレード」事件の勝者は匿名ネットテロリスト

東村山議会に提出した請願(審議されずに不採択となった)に「薄井政美市議のこのような行為こそが、長崎市長が殺害された事件や加藤紘一元自民党幹事長の実家放火事件など、自由闊達な言論活動を封殺する蛮行へつながっていく」と書いた。東村山市の匿名ネットテロリストは、読売新聞を「利用し」し(原文ママ)、「最後のパレード」の回収作戦を勝利に導いた。

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まず、この「8」の最初の文には主語がない。したがって、「書いた」のが誰であるのかが不明であるが、文脈などから中村克氏であると推論できる。


そして、この文章の「審議されずに不採択となった」という記述は誤りである。実際には審議の後に不採択となった。その請願の内容を精読する限り、当然の結果であると筆者は判断する。


ちなみに、「薄井政美市議の~蛮行へつながっていく」という表現は、中村克氏による「根拠のない飛躍したこじつけ」の典型的な例として、非常に参考になることを記しておきたい。


さて、「東村山市の匿名ネットテロリスト」という表現が、具体的にどのような人物や団体、行動や現象について指摘するものであるのか、何一つ提示されていない。そして、その、「東村山市の匿名ネットテロリスト」なるものが、具体的にどのような手法や活動によって「読売新聞を「利用し」たのか、その結果としていかに「回収作戦を勝利に導いた」のか、何一つ現実的かつ具体的なものは提示されていない。また、筆者の取材や調査によっても、そのような事実はどこにも確認できていない。


それに、『最後のパレード』の回収は、発行元のサンクチュアリ社が事態の重大性を認識しての結果であることは明らかであり、「東村山市の匿名ネットテロリスト」なるものの活動や行為が影響した可能性を示すものは、どこにも確認されていない。



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私は、ある大学の先生の名前を出したところ、その先生から「二度と私の名前を出さないでほしい」というお叱りを受けた。匿名ネットテロリストたちが、大学に総攻撃をかけたからこそ、先生は「大学に迷惑がかかるから」と考えられ、そう言われたと私は判断している。

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これまで、インターネット上で中村克氏と特定の大学との関係が取りざたされた事実は確認されていない。また、中村克氏と特定の大学との関係が公表されたという情報が、広く知られているという事実もまた存在しない。したがって、「匿名ネットテロリストたち」が特定の「大学に総攻撃」をかける可能性は、無に等しい。


それに、「大学に総攻撃」という表現も、非常にあいまいである。この場合、大学とは、本部事務局なのか、学部なのか、学部事務局なのか、研究室なのか、理事会なのか、評議員会なのか、まったくわからない。


また、「総攻撃」とはどのような行為または現象なのか、中村克氏は何一つ記述ていない。


さらに、通常の感覚ならば、たとえ大学本部に何者かが「攻撃」をしかけたとしても、自治権を有する教授に累が及ぶなどとはまず考えられない。


そもそも、「匿名ネットテロリストたち」が、特定の大学に対して「総攻撃」を行う理由がわからない。動機もなく行動を起こすなど、どのような個人や団体であれまず考えられない。


中村克氏は「判断している」と表現しているが、常識的に考えれば、それは「妄想」と記述すべきものであると考えざるを得ない。


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匿名ネットテロリストたちは、私の通うキリスト教会へさえも攻撃をかけた。私は、教会を離れざるを得なくなった。

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これについても、先の「大学への総攻撃」と同様に、その行動の有無が不明である。事実、詳細や具体的な事実について、中村克氏は何一つ提示も説明もしていない。あるいは、説明できない理由でもあるのだろうか。これは筆者の憶測であるが。


(つづく)