妄言を繰り返すばかりの中村克氏の「整理」を整理する 2 | 断片的な日々 

妄言を繰り返すばかりの中村克氏の「整理」を整理する 2

著作権侵害の可能性が極めて高く、しかもその当事者の行為と発言等が極めて悪質であると指摘される『最後のパレード』(サンクチュアリ・パブリッシング発行)に著者としてクレジットされている、自称コンサルタント業の中村克氏が、自らのサイト「外部の専門家」において公開した、〈「最後のパレード」事件を整理する〉と題する記事についての検証を続ける。


なお、同エントリーのタイトルは、昨日19時頃には〈「最後のパレード」事件とは何だったのか〉に変更された。その意図は不明である。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

3、A記者(原文本名)の狙いと誤算

「ディズニーランド」「ベストセラー」「パクリ」という三拍子揃ったネタであり、大スクープ記事が書けるともくろんだ。「盗む」という字を使うことにより、著者は悪者に、自分はヒーローになると喜んだ。

(外部の専門家〈「最後のパレード」事件とは何だったのか〉より引用 以下同)
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


まず現実的な確認として、『最後のパレード』事件そのものは、重大な著作権侵害であるとともに原著者の尊厳と良心を著しく侵害する事件ではあるが、世間一般としてはそれほど大きな事件としては捉えられていない。また、同事件を報道したメディアは『読売新聞』だけではなく、他の大手新聞やブロック紙、地方紙なども取り上げている。そして、その扱いもそれほど大きいとは判断できない。そのことは、一般的な新聞記者、報道関係者であれば容易に理解できる範囲のものである。


したがって、A記者でなくとも、いかなる新聞記者、ライター、ジャーナリストであっても、『最後のパレード』の関する盗用疑惑事件に関して、「大スクープ記事が書ける」などと思うなどとはまず考えられない。まして、「自分はヒーローになる」などという感覚が存在するような可能性は、まず考えられない。フリーのライターならともかく、サラリーマンである新聞記者は常に標準的な報道記事を書くことのみに労力を費やしていることは常識である。


また、A記者が中村克氏が記述するような「意図」を持っていたという、具体的な確証は何一つ提示されていない。


これらの材料から、上記の「3」は、ことごとく中村克氏による根拠のない憶測、または想像の産物である可能性が極めて高いと判断せざるを得ない。少なくとも、「仮説」と呼びうるような材料は、ひとつも提示されていないし、推し量ることもまた極めて難しい。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

しかしながら誤算があった。誤算は、私を数年前から脅し、言論を封殺しようとするグループ、匿名ネットテロリストたちが、丸善(多分イクスピアリ店だろう)やユニセフなどに集中攻撃をかけ、書籍の全面回収に至ったことである。911事件と同じ「効きすぎた」のであり、盗んでいない著者をひれ伏せさせることに失敗し、反対に怒らせた。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


まず、A記者にかんする上記「3」の内容が現実的である可能性が非常に希薄であるため、「誤算」以下の文章に何らかの現実的な意味または価値を見出すことはきわめて難しい。「私を数年前から脅し、言論を封殺しようとするグループ、匿名ネットテロリストたち」という記述は、極めてあいまいで、その事実の存在について何一つ提示されていない。


また、そうした個人または集団が「集中攻撃」があったという事実は、筆者の調査ではまったく確認されていない。丸善その他の書店の店頭から『最後のパレード』が撤去された理由として、筆者の取材によれば「盗用疑惑」以外の発言を聞いた経験はひとつもない。


さらに、中村克氏は「全面回収」などと表現しているが、そのような行動が行われた事実は確認されていない。


だが、この文章の中には、わずかに事実と考えられる箇所がある。すなわち、「怒らせた」という表現である。


つまり、『最後のパレード』事件が発覚したことによって、中村克氏の精神面における明らかな現象として、その著者である本人は「怒りを覚えた」という旨をここで明らかにしたということが改めて確認できるというわけである。


ただし、「盗んでいない」と表現してはいるものの、それを裏付ける具体的な確証や証拠、説明などは、中村克氏のいかなる発言や文章表現にも、一切提示されたことはない。




(つづく)