宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 補足 月影兵庫氏のコメント | 断片的な日々 

宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 補足 月影兵庫氏のコメント

先般、瀬戸弘幸氏のブログ「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」において、以下のような書き込みを拝見した。


(最後の)> 瀬戸先生が続きを「ぜひ読みたい」と言っていた記事も発表されてます
については、瀬戸さんがそれを読まれていればきっと笑っていると思いますよ。
(結局、瀬戸さんの指摘を批判したりケチはつけているが、直接の否定はできない、というところが味噌なんだが)ただし―――
>> 疑問というよりも荒唐無稽な不気味さを、筆者は感じざるを得ないものである。
「荒唐無稽」を除けば、これは本音かも知れない、このような批判は折込済であることだし・・・実際、非常に「不気味」だろうね。

(「勘違いしているブログコメント者へ 【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(8)」コメント欄より引用)


昨今注目されている月影兵庫氏からコメントをいただけるとは、光栄の至りである。同氏に深く感謝申し上げる。


月影兵庫氏の評するところの、「直接の否定はできない」というご意見はまったくごもっともである。そもそも、瀬戸氏が具体的な事実を提示していないため、「直接の否定」などできようはずもない。


それに、こうした検証作業は、手間と時間がかかることは文章を書く者であるなら自明のことである。事実の検証に、「魔法の杖」など存在しない。サッとひと振りするだけで、すべてが解明できるものなどない。一つひとつの可能性を模索し、ひとつずつ確かめ、考え、情報を集め、意見や事例を収集し、しかる後に判断もしくは仮定的な推論に導くという作業を、何回も、何十回も、あるいはそれ以上繰り返すに過ぎない。これは、多くの諸先輩方が行ってきたことであり、筆者がそれを繰り返したとしても、公共の福祉に影響するものでも、国益を侵害するものでもなかろう。つまり、筆者が笑われたとて、誰にも迷惑はかからない。


だから、今後も筆者は同じ作業を続けることであろう。その行為が「笑われる」ことがあったとしても、別に支障はない。筆者が笑われ軽蔑されたからといって、第三者の利益や尊厳が侵害されたわけでもなく、民族的な価値や国益が損なわれたのではない限り、とくに気にする必要もない。だから、筆者はこれまで通りに作業を進めるだけである。5年でも、10年でも。