ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 9 瀬戸氏の発言について | 断片的な日々 

ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 9 瀬戸氏の発言について

瀬戸弘幸氏が自らのブログ「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」において、ジャーナリストである宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と表記している件について、瀬戸氏がその根拠としているのは、「書き手が取材した原稿が創価学会の手に渡り、同広報部から入稿されている」という同氏の主張である。



素人ですがさんへ
版下は創価学会がどこかに頼んで制作して、創価学会広報より、出版社が印刷を頼んでいる会社に入稿されています。
Posted by せと弘幸 at 2008年11月08日 19:46


ココさん
私がネットのコメントだけで、これだけの記事を書くとお思いですか。
それじゃ、提訴されたら負けるでしょう。
>信じるか信じないかはあなた次第ということか・・・。
そんな軽い話ではないと思いますよ。
Posted by せと弘幸 at 2008年11月08日 20:54

何か、皆さん必死ですね。
ライターが取材をして書いた原稿の記事が、何故に出版社に対して、創価学会の広報部より入稿されるのですか?
このことを私はだいぶ前に書いていますが、宇留嶋氏を始め、3羽の雀の日記 は何も反論めいた記事を書いていませんね。
Posted by せと弘幸 at 2008年11月08日 21:10

(いずれも、2008年11月8日付「勘違いしているブログコメント者へ 【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(8)」コメント欄より引用)


このほかにも瀬戸氏は同様の発言を繰り返しており、この「書き手が取材した原稿が創価学会の手に渡り、同広報部から入稿されている」という記述を、「当然のこと」「明らかな事実」という旨であるという姿勢を見せていると考えざるを得ない。

しかし、現在に至るまで、同記述についての具体的な事実が一切示されていない。もし瀬戸氏がかく発言することが「事実の提示」であると考えているのであれば、瀬戸氏は常識的な事実認定の感覚および能力が著しく欠落していると考えざるを得ないか、その提示そのものが困難な状況にあると判断せざるを得ない。

いずれにせよ、同発言あるいは記述についての明確かつ具体的な証拠や事実が提示されていない限り、同発言は単に仮定的な憶測あるいは推定による可能性を探るものに過ぎない。

それに、「反論」ならば拙ブログにおいて筆者が幾度となく行っているが、瀬戸氏は当方への意見や指摘は一切行っていない。

当方がこれまで進めてきた内容を簡単にまとめると、次のようになる。

①取材者が取材し執筆した原稿が「記事」になる場合、ある団体に渡ったままで返却されず、その団体内部の手によって「版下」が作成されることは慣例上並び編集権の観点から考えられない。

②取材者が取材し執筆した原稿が「広告」になる場合、クライアントによってチェックされ、その後取材者等に返却されず「版下」が作成されることは不自然ではない。

③取材者が取材し執筆した原稿が「記事」になる場合、ある団体に渡ったままで返却されず、その団体内部の手によって「版下」が作成されるような事実が「もし存在すると仮定した」ならば、それは検閲まがい、またはそれに類するような不当な原稿への圧力や改ざん等があったという可能性は否定できなくはない。だが、現時点ではあくまで仮定の意見でしかない。

④上項③については、ある特定の団体について言及する意見や記述は存在するものの、その言及された事実についてはいまだ確認されていない。また、言及した発言者からの具体的な事実の提示も一切なされていない。

⑤印刷物の作成工程において、それが「記事」であるばあい、「完全版下」は印刷作業を行う施設内で作成され、同施設外に持ち出されることはまずない。

⑥⑤に関連して、印刷物が「広告」であるならば、「完全版下」が印刷作業施設の外部に持ち出されることもあり、また広告主から入稿されるケースもありうる。

(つづく)