ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 8 「完全版下」とは | 断片的な日々 

ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 8 「完全版下」とは

瀬戸弘幸氏の発言らしきものが一部で話題となっているようである。しかし、筆者は結論を急ぐことはしないし、そもそも筆者の標的は瀬戸氏などではない。だが、筆者の言及する範囲内に、瀬戸氏が含まれてしまうとしたら、それも止むを得ない。筆者はただ、粛々と、そして自らの可能な限り、作業を進めるだけである。


その瀬戸弘幸氏だが、自らのブログ「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」において、ジャーナリストである宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と表記している件について、瀬戸氏は「十分な確証」を得ていると断言している。



そして、瀬戸氏はその根拠として、本連載7「瀬戸氏の判断根拠」において引用したように、宇留嶋氏が取材執筆した原稿が出版社を経て創価学会へと送られ、そこでチェックを受けた後に「完全版下」となって印刷工程に運ばれるとしている。


だが、実際に編集や出版に関わったことのある人間であれば、瀬戸氏の手による文章の内容は、明らかに違和感がある、事実関係として現実の慣例としておかしいと感じることが少なくない。


それは、「創価学会広報部から」という点にではなく、「完全版下として」という部分である。


まず、「完全版下」とは、出版や広告など、印刷物の製作工程における最終段階の用語であり、訂正や修正、構成や校閲などを経てそのままの形で印刷できるように整備された原稿のことであり、具体的にはケント紙などのような紙にベタつまり黒で記載された原稿のことを言う。写植印刷に関しては、この版下から製版フィルムが作成されることとなる。


ところが、昨今のDTPの普及によって、原稿等の素材をパソコンに取り込み、直接に製版フィルムが作成されることが多くなっている。このことから、「版下」または「完全版下」というと、「製版フィルム」のことを指すことが多くなっている。だが、それも100パーセントではない。現在も紙の形での完全版下が用いられることもある。


だが、いずれにせよ、完全版下や製版フィルムというものは、印刷所内において作成されるものであり、さらに印刷物の製作過程において印刷所から「外に出されることはない」のが通常である。


製版フィルムというものは、印刷にかかる最も重要なものであり、破損や紛失は出版や広告にとって重大事だからである。したがって、出版社等から印刷所に送られた原稿を元に版下つまり製版フィルムが作られたとしたら、印刷物の制作が完了するまで「外部に出る」ことはまず考えられない。


しかし、編集作業の最終工程で、原稿等に間違いや訂正が発生することがある。その場合にはどうするのかというと、それでも製版フィルムを印刷所の外に出すことはなく、編集者が印刷所に出向いて確認や訂正等の作業を行うのである。これがすなわち「出張校正」であり、商業雑誌の大部分は最終的な確認作業として、決められた時期になると編集部の編集者が総出で、印刷会社まで出向いて、その社内に設けられた校正室で校正作業を行っている。


そして、印刷物が発行された後、製版フィルムはどうなるかというと、これも印刷会社が保管して外に出ることはない。これは活版印刷の時代から同じである。以前は紙型を、そして現在はフィルムを、それぞれ印刷会社が保管するのが通常である。


だが、フィルムが外に出る場合がある。それは「広告」のケースである。広告は複数の媒体に掲載することが多いため、クライアントや代理店が保管するケースが少なくない。



さて、瀬戸氏は自身のブログで、創価学会から「完全版下」が印刷に回されると明記している。ならば、それは「記事」ではなく、「広告」の製版フィルムである可能性が高いと考えるのがより自然である。


そして、「広告」の場合には、その内容にもよるが、広報内容の責任についてはクライアントすなわち広告主が負うことはあっても、クリエイターであるコピーライターが優先的に責を問われることはまず考えられない。




ここまで本題材について連載を続けたが、いまだに瀬戸氏から具体的な確証、すなわち「『××』という雑誌に掲載された宇留嶋氏のてによる記事は、創価学会広報部から入稿されたものである」という提示がなされたという事実は確認されていない。事実が提示されていない以上、現時点での仮説として、瀬戸氏が主張する「取材した記事が何故創価学会に一旦渡されて、創価学会から入稿されている」という事実については、はなはだしく疑わしい、あるいはすでに筆者が何度も繰り返しているように、それは「記事」ではなく「広告」であるということである。


しかし、それでもまだ瀬戸氏はご理解いただいていないようであるし、もしかしたらより徹底的にご説明申し上げたほうがよろしいのかもしれない。


ならば、次回は「ある団体が原稿をチェックするということの現実とその利益」について、さらに次々回は「記事広告」に関連した、「タイアップ記事」について、しばし駄文を進める予定である。


(つづく)