ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 7 瀬戸氏の判断根拠 | 断片的な日々 

ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 7 瀬戸氏の判断根拠

瀬戸弘幸氏は自らのブログ「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」において、宇留嶋瑞郎氏が取材した原稿が編集等を経由して創価学会内部に渡され、版下となって同広報部から印刷所に送られるとの旨の主張を繰り返している。以下に、瀬戸氏の発言を同氏のブログから引用する。




さて、この9月1日の演説には創価学会の御用ライターと呼ばれている方もお見えになりました。ブログマガジン・エアフォースというブログをやられている方です。(2008年9月5日付「店主でないなら、どんな人? 【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(2)」より引用)


このブログにコメントする方の多くは、創価学会の御用ライター・宇留嶋瑞郎氏の『民主主義の汚染』(原文ママ・筆者注)という本や、創価学会を支援するサイトを見て、それを鵜呑みにしている人が多いようです。(2008年9月26日付「アリバイ工作などという印象操作 【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件(17)」より引用)


さて、創価学会の御用ライターである宇留嶋瑞郎氏や(後略・2008年10月2日付「洋品店の証言者とは誰ですか? 【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件(18)」より引用)


さて、宇留嶋さんの原稿はどうなのでしょう?
 創価学会広報部より完全版下原稿として、出版社に送付されます。これは珍しいことでも何でもありません。

 創価学会広報部がチェックして、OKの許可が出て初めて掲載されることになります。私の時代から今も変わっておりません。レアウト(原文ママ・筆者注)は創価学会が行ない、完全な形で入稿されるというわけです。(2008年10月11日付「創価学会御用ライター・宇留嶋瑞郎さん」より引用)


私は彼を創価学会の御用ライターという名称で書いてきた。この名称を巡っては宇留嶋瑞郎は、自らは御用ライターではないと朝木さんを提訴しています。

 しかし、私はそれを承知で御用ライターという表記を使い続けています。その理由はそのように信じるに足る十分な確証を私は得ているということです。(2008年11月7日付「沈黙する創価学会系ライターとジャーナリスト 【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(7)」より引用


宇留嶋氏の原稿はこれとはまったく逆となっています。取材原稿は一旦は出版社に出して会社側はそれを見ますが、その後は創価学会広報部より完全版下として入稿されます。(2008年11月8日付「勘違いしているブログコメント者へ 【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(8)」より引用) 



これらを再読してみると、瀬戸氏が9月の時点で、すでに宇留嶋氏について「創価学会の御用ライター」という認識を持っていたことが明確に理解できる。そして、その根拠について9月の時点で確認していたはずである。そうでなければ、「宇留嶋氏は創価学会の御用ライター」などという認識は発生しないはずだからである。


だが、9月から現時点に至るまで、「宇留嶋氏は創価学会の御用ライター」と言うことに関する具体的な確証は何一つ提示されていない。繰り返しになるが、瀬戸氏が強調し続けているのは、「このような事実が存在するのであれば、宇留嶋氏が創価学会の御用ライターであることになる」という仮定的な推論に過ぎない。


しかし、筆者は瀬戸氏に行動を急がせるようなことをするつもりはない。瀬戸氏に人間としての誠実さと、表現者としての責任感と、日本人としての誇りと品位、そして男としての勇気と使命感があれば、具体的な証拠を公開することは絶対に間違いないはずだからである。


次回は、本連載3の末尾で示した問題に深く関係する「完全版下」について少し述べたいと思う。


(つづく)