ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証 | 断片的な日々 

ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証

ジャーナリストの宇留嶋瑞郎氏に対して、インターネットサイト『東村山市民新聞』や、自称社会運動家の瀬戸弘幸氏など一部の媒体や人物が、「創価学会御用ライター」「創価擁護ライター」などと呼称している事実について、筆者は独自に検証を進めている。これは当初から疑問に感じていたことに関する、筆者の個人的な好奇心によるものである。すなわち、たとえどんなに信用できるファクターであっても、とりあえずは自ら確認して確かめることが大切であるし、そうすることが表現者としての責任であり、倫理であると筆者は考えているからである。


宇留嶋瑞郎氏が執筆した文章は数多く、著書『民主主義汚染』のほか、とくに2000年以降はもっぱら「草の根会派」を追求する記事を発表し続け、今日に至っている。媒体としては『月刊TIMES』や『リベラルタイム』などで、その数は宇留嶋氏のクレジットが明記されているものだけでも、現在までに60以上はあることが確認されている。


そのなかで、宇留嶋氏と創価学会とのなんらかの関係を示す可能性があるものを探してみると、雑誌『潮』への執筆が挙げられるかもしれない。


月刊誌『潮』の出版元である潮出版社は、第三文明社などとともに創価学会と関係のある企業として知られている。しかし、だからといって、ただちに宇留嶋氏と創価学会に密接な関係があるなどとは判断できようはずもない。


そこで、宇留嶋氏が『潮』に執筆した記事について、筆者は逐一通読し調査した。宇留嶋氏の『潮』への執筆は、筆者が確認した限りで現時点では2001年から2008年までに14点を確認した。


さて、問題はその記事内容である。


筆者が確認した限りでは、14点の記事のうち12点は東村山「草の根会派」関連の内容であり、矢野・朝木両市議の行動や言動に対して疑問や意見を投げかけるもの、さらに関連する事項についてのものである。関連するとは、たとえば疑問点のある報道や記事、例えば『潮』2003年8月号、P.358からの記事、「ガセネタ屋、乙骨にまたも司法の断罪!」といった性質の記事である。


これら12点の『潮』掲載の記事を精読すると、矢野氏や朝木氏、さらに乙骨氏を糾弾あるいは攻撃している考えられる記述はあるものの、創価学会という組織やその思想信条、構成する人員、その他関連する事項について、不自然あるいは過剰に擁護、もしくは正当化するような記述は確認できなかった。わずかに、記事の端々にそれらしき表現はいくつか見られたが、擁護というには判断としかねる表現ばかりであった。


それは例えば、『潮』2002年2月号のP.365の記述、「もちろんこの『東村山市民新聞』記事もまた、矢野氏が公明党攻撃のために捏造したまったくのデマだった」の記述などは、一見すると公明党すなわち創価学会の政治団体を擁護しているようにも見えなくもない。しかし、記事を通読しただけでも、その記述が要は『東村山市民新聞』に記載された当該の情報が、捏造された信用のできないものであったという事実を示したに過ぎないことが瞬時に理解できる。


では、宇留嶋氏がその他の媒体、『月刊TIMES』、『リベラルタイム』等に執筆した多くの記事について、やはり創価学会に関連してそれを「擁護」しているような内容のものを再三再四探してみたが、やはり見つけ出すことができなかった。


さらに、『潮』に宇留嶋氏が執筆した記事の中に、2点だけ東村山および「草の根会派」とは関係のない記事があった。だが、それは2点とも中小企業の経営者に対するレポートであり、創価学会とは関係の見られない、そして創価学会を擁護するような記述などまったく見られない内容であったことをすでに確認している。


もちろん、筆者は宇留嶋氏が執筆した記事や記述について、そのすべてを漏れなく調べ上げたわけではない。努力はしたものの、まだ完全ではなかったと思われる。


しかし、過去においておよび現在の日本で発行されている、主要な媒体についてはほとんど調べつくしたので、これによって宇留嶋氏の執筆活動の概要は把握できた可能性は低くはないと判断するものである。


その結果、雑誌等の媒体において、宇留嶋氏が創価学会を「擁護」している、あるいは「創価御用ライター」とよばれるような材料は見つけることができなかったと報告するものである。




さて、次に瀬戸弘幸氏が自らの個人ブログ「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」において取り上げている「記事広告」の件である。


この件については、編集者や広告関係者ならば、瀬戸氏の発言に対して瞬時に違和感を覚えることは言うまでもない。筆者も以前、広告営業の仕事をしていたことがあり、瀬戸氏がどのようなことを考えているのか理解に苦しむものである。瀬戸氏の「創価学会広報部から完全版下として入稿されています」(同ブログ、コメント欄より引用)という発言が、広告の版下、いわゆる「フィルム」の使い回しのことを指すのであろうか。この点について、もう少し考えてみたい。


(つづく)