重要なのは事実であるということ | 断片的な日々 

重要なのは事実であるということ

調査報道という作業において、最も重要なのは「事実」をいかに確実かつ具体的に把捉することではなかろうかと筆者は考える。筆者を含め、多くのライターやジャーナリストはそのために時間と労力をかけて取材をはじめとする作業によって、事実に到達するための材料を収集する。


そして、事実を把握した上で得られるものが、仮説や推論、あるいは結論と呼ばれる数々の意見や結末であると考えられる。


だが、そうした結論が必ず得られるとは限らない。有能かつ精力的なジャーナリストが取材を続けたとしても、必ずしも結論へと到達できるとは限らない。


しかし、いかに凡庸なライターやジャーナリストであっても、実際の取材活動を行うことによって、必ず得られるものがある。それは、事実へと到達しうる数々の断片的な情報である。


これらの断片的な情報には、誤りや見当違いがしばしば含まれており、あるいは「一見して明らか」と思われる事象に思わぬ隠れた情報が隠れていることもあるため、精査や確認が必ず必要となる。そのように精査することによって事実を確認することができる。


この事実確認こそが、ライターなりジャーナリストの重要な作業であることは言うまでもない。なぜなら、そうして得られた事実こそが、すべてのベースとなりうるものだからであり、この事実確認なしには何も生み出さないからである。あたかも、食材なしには料理を作ることはできず、建材なしに建物を建設できないことと同じである。


筆者は1年3ヶ月ほど前から、ある事件をきっかけとして東村山関連の取材を続けている。本ブログでは、この件についても記事を公開させていただこうと考えた次第である。


東村山関連の記事を書くにあたっては、筆者による現地取材のほか、宇留嶋瑞郎氏『民主主義汚染』(ユニコン企画発行・1998年3月10日刊・254ページ)等の関連書籍のほか、『週刊朝日』95年7月28日号P.154のほか、170点以上の雑誌掲載記事、およびインターネットサイト『東村山市民新聞』、ならびに開示請求によって得られた公的資料などの、公開された媒体や資料を参考にさせていただく。個別の資料については、今後必要に応じて引用し、出典を明らかにすることをお断りしておきたい。