プリゴジン語録 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

私の師であったイリヤ・プリゴジン教授から私が直接聞いた言葉の中で印象に残っているものを書き残しておきます。思い出すままに書き出しますので、順不同と言うことになっています。今後も、思い出したらこのページに書き足して行くつもりです。

✽プリゴジン教授の墓碑:
「驚きは創造性の源である」

✽「私の人生にとって最も重要なことが二つある。一つは人と人との遭遇だった。もう一つは、仲間内での議論だった。議論しないと自分の思い通りの結果しか出て来ないからだ」

✽あるインタビューで、歳を取っても精力的な理由を聞かれて、
「若いと言うことは蛸の足のように何にでも興味を持てると言うことなんだ。歳を取るとは、その蛸の足を一本一本切って行くようなものだ。私は今でも何にでも興味を持っているので精力的に見えるんだろうね

✽「決定論的な世界では未来はもう与えられてしまっている。それに対して確率論的世界では未来はまだ与えられていない。確率論的世界だけが、未来の構築に我々が参加できる世界なんだ」

✽プリゴジン教授が物理の大学院生向けに講義したときに、
「人類がどれほどの成果を成し遂げて来たかを教える授業は最悪の授業だ。そんな授業をすると、二流な学生しかついて来なくなる。我々にはまだ何が解っていないかを教えなくてはならない」

✽記者会見で日本の記者から教授が研究を続けて行く動機を問われて、
「不満だ。皆は今までの理屈で何か解っている気になっているようだが、私にはまだしっくりしないものがある。その不満を解消したいというのが私の動機だ」

✽「私には理解できないことがある。若いときにあれだけ素晴らしい寄与をした連中が、40過ぎてもまだその若いときの仕事の周りで仕事をしているんだよ。科学は進歩しているんだ。だから40過ぎても常に新しいことを始めなくてはならないんだよ」

✽「お前の講義で、前の方に威張って座っている年寄りを説得しようなんて考えては駄目だ。あいつらを説得させることなんて誰にも出来ない。でも、どうせあいつらはもうすぐ死んで行くから気にするな。もし後ろの方に座っている若い者の二、三人でも興味を持ってくれたら、その講義は成功だ。その若者は、将来年寄りになってくれるのだから」

✽若い頃、プラズマ物理で歴史に残る寄与をし、後にヨーロッパのプラズマ物理学会の会長だったかヨーロッパの核融合研究所だったかの所長になったプリゴジン教授の高名な弟子について、
「あれだけ優れた能力のある男が、プラズマ物理学の専門家になってしまったのは惜しい。あれだけ優れているのだから、物理学のあらゆる分野で素晴らしい寄与ができるはずなのに」

✽「私があの男を好きなのは、彼から何かを教わることができるからなんだ」

✽「人類の教師と言われるソクラテス、釈迦、孔子がほとんど同時期に輩出したのは、人類が都市を作り始めて、いよいよ都市問題が深刻になって来た時期だったからだ」

✽「現在の宇宙論は余りに未熟な段階なので、数学的に無矛盾で出来るだけ奇を衒ったことを言った者の勝ちだ」

✽一緒にビールを飲みながら、
「この宇宙は、真空の中で過飽和なこのビールのようにミクロで見えない泡が出来たり消えたり揺らいでいて、ある臨界の大きさを越えたときにその泡が不安定になって突然膨らんで宇宙が出現して来るんだと思う。お前も知るように、過飽和状態でその現象が起こるためには、何もないと見えている中で過去から未来へと流れる時間に向きがなくてはならないんだ」

✽「私が30代のときある国際会議の終わりに夫々自分の思うことを黒板に書けと言われて『時間は宇宙に先立って存在する』と書いたんだ」

*「今回、ベルギーの日本大使館で日本に関して講演をするように頼まれた。でも私が日本の歴史を語ってもしょうがない。だから、日本人で科学部門のノーベル賞を受賞した人たちが書いた文化論や文明批判論をお前が探して来てくれ」

✽ある出版社から世界の著名人が「愛」について一言書くように頼まれたとき、
「愛は、自己とエゴと我々の外側の世界の間の区別を粉みじんにする。それは人間界と自然界の一体としての帰属の感覚を表している」

✽私が40代の頃、すでに70代の教授の研究に対する精力的な取り組みに感心したとき、
「お前には時間がまだ無限大残っていると思えているのだが、この私にはもう時間がないんだよ」

✽若い頃著名な寄与を数々残した老教授を招待したときのゼミで、その教授が悲しそうに見え、あれだけ素晴らしい業績を残したのに何でそんなに悲しそうなのかとプリゴジン教授に聞いたとき、
「人間は過去の栄光で生きてはいけないんだ。彼はいまの自分に不安なのだよ」

✽ノーベル賞をもらったことについて大分後になってから、
「それは、動物園のゾウさんになったようなものだ。世間の人が私を見ると、あっ、あそこプリゴジンがいる、ってジロジロ見るんだよ。まっ、いまのは冗談だが、ノーベル賞をもらったお陰で、役に立つかどうかに無関係に、時間の問題という物理学で最も基本的な問題をやっていても、研究費を潤沢に出してもらえるようになったのが一番重要だったと思う」

✽同じくノーベル賞をもらって大分後になってから、
「ノーベル賞をもらった二三年後、これから私は何をやろうか悩んでいるときだった。ノーベル賞をもらった『散逸構造の理論』の延長をやっても、それに関する論文はいまでは毎年数千も出ている。それでは私はこの分野の創始者としての広告塔になってしまうだけだ。そんなとき、お前が来たんだ。そこで、もうこの課題は止めることにして、それよりも、散逸構造を可能にしている過去から未来へと向う『時間の矢』の存在の根拠という、物理学で未解決な問題を研究課題にすることに決めたんだ」

✽「研究の優れた成果は、適度に孤立した研究環境の中から生まれて来る。だから、世界中から優秀な研究者を一堂に集めた巨大な研究施設なんて作るものじゃない。そんなことしたら、未完だが後に発展する可能性のある閃きの潰し合いになってしまうだけだ」

✽若いころ国際ピアノコンクールで優勝した経験のあるプリゴジン教授曰く、
「音楽は静寂で始まり静寂で終わる。しかし、その静寂は同じではないんだ。後の静寂は、その前の音の流れとの時間的相関を持っているんだ」

✽ノーベル賞受賞後のベルギー王立アカデミーで催された国王臨席の晩餐会のとき、ウラディーミル・アシュケナージの父親で、若い頃のピアノの師匠だったダヴィッド・アシュケナージがプリゴジン教授の若い頃のピアノを褒めたとき、
「先生、それは違うじゃないですか。先生はラフマニノフを演奏できるピアニストとそれができないピアニストがいる。お前はラフマニノフを演奏でない方だと言ったじゃないですか。だから私は、科学に進んだんです」

その時のアシュケナージの返事、
「それは貴方がノーベル賞を取る前の話だ。今は違う」

✽ある学際会議で美術史家が、渦を絵画として発見したのはレオナルド・ダビンチだと述べたときの教授の反論、
「それは『永遠』にだけ興味を持っていた西洋人の中での発見だ。中国や日本の絵画を見てみろ。彼らは『変化』にも興味があり、したがってダビンチより遥かに古い時代から、雲の渦だの一筋の煙の渦を描いていたではないか」

✽「西洋人の中で、永遠にこだわらず、本来あり得ない物が集まって一過性のものでできた顔を描いたのが、16世紀のイタリアの画家、ジュゼッペ・アルチンボルドなんだ」

✽教授が若いとき、熱力学で著名な老教授の前で非平衡状態の研究成果を論じたときに、その老教授から、
「お前は何故一過性の現象に過ぎない非平衡状態を論じているのだ。最終的にどの系でも行き着いてしまう変化のない熱平衡状態こそ重要な研究課題だろう」

と言われたときの反論、

「我々の存在は一過性ですよね」