日本人てすごい 6 英語下手の日本人 | texas-no-kumagusuのブログ

texas-no-kumagusuのブログ

トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

明治初期の日本政府は外国人お雇い教授に、しばしば、当時の総理大臣よりも高い給料を払っていました。ここまでして、本気で外国から役に立つものを導入しようと努力した政府は世界広しと言えども日本だけだったのではないでしょうか。日本人てすごいですね。

ところで、そんなに外国人教授を大切にしていた日本だったのに、つい最近まで日本の大学には外国人教授がほとんどいませんでしたね。他の非欧米国の大学では外国人による英語の授業がざらにあるのに、日本では外国語科を除いて、全て日本語で授業が行われていました。あれだけ外国人教授を厚遇した日本がその外国人教授たちを日本から追い出してしまった事情が、メーチニコフによる

回想明治維新一ロシア人革命家手記』 (岩波文庫)


texas-no-kumagusuのブログ-メーチニコフ
に詳しく出ています。実は
外国人お雇い教授の質はピンからキリまであり、ピンの方は、ケーベル博士やメーチニコフ自身などがおりましたが、中には大学が頭を抱えてしまうごろつきも居たそうです。そんなごろつきに手を焼いていた頃、例の不平等条約解消のための交渉団が欧米に派遣されました。ところがその派遣の努力も空しく、けんもほろろに追い返されてしまいました。その派遣団が帰って来た頃から大学の雰囲気が変わってしまい、どんどんお雇い教授たちが解雇されて日本人教授に置き換えられて行ったそうです。日本人の英語の下手さ加減は有名ですが、こんなところにも原因があるのかも知れませんね。

でも、それって日本の教育にとって幸運だったのかも知れません。非欧米国では、未だに高等教育が欧米人によって行われている国が一杯あります。外国人から教わらないと高等教育ができないって、なんか悲しいことではありませんか。大部前ですが、東南アジアのある国から来た留学生に、貴方の国ではどんな文字が使われているのか聞いたら、もちろんアルファベットですと誇らしげに答えていました。そのとき私は悲しくなりました。

texas-no-kumagusuのブログ-重光葵

実は、そんな日本から日本の文字が消えてなくなる危機が一度あったそうです。大東亜戦争敗戦後の米国の戦艦ミズーリ号での重光葵全権大使の降伏文書調印の直後、米国は以下の3つの要求を突きつけて来たそうです。

1)日本の公文書は英語にすること
2)裁判権は米国にあること
3)貨幣はドルとすること

一晩寝た
重光全権大使は、その要求の全部を突っぱねました。アメリカ人て、中国人や韓国人と同じように、初めて会った人にはそれが理不尽な要求でも、先ずは言ってみると言うところがあります。それを受け入れてくれたらこちらの勝ち、そうでなかったら、冷静に本気で交渉を始めるという具合です。日本人が初めて会った人には控えめにするのと反対なのですね。この重光全権大使の断固たる態度にアメリカ側も納得し、その要求を引っ込めたそうです。日本人は重光葵がいたことに感謝しても仕切れないほどの恩を感じるべきだと思いました。

残念ながら、そのお陰で日本人は相変わらず英語が下手です。でも、それはむしろ喜ぶべきことで、誇らしいことなのだと思います。