アメリカでのワタクシの「ジャパニーズファザー]でもあり、「バイク&人生マスター」、そして「おねーちゃんマスター(ススさんはいつも女の子たちを「おね~ちゃん」と呼んでいた)」でもある、とてもとてもとても大切な人が天国へ旅立ち
した。ススさんは、まさに「少年の心をもつ大人」であり、1939年制の「インディアン」を宝物に、いつも「希望」に向かって突っ走っている人だった。悟りを開いたかのように人に優しく、コメディアンのように面白く、若いおね~ちゃんに
モテモテの、どこの国の人にでもどんな年の人にでも心から愛される「ダンディー&おちゃめ」な男だった。様々な人生の話をよくしてくれた。1970年代初期に渡米し、いつも人生をフルで楽しんでいた話ばかりで、何年か前に天国へと旅立っ
た、日本人初アメリカンドリームを勝ち取った「ロッキー青木さん」や、ワタクシの友人の父親「マイク真木」さんと、車、バイク、ボートなどで遊んでいた頃の「古き良き時代のアメリカ」の、いまでは「インポッシブル」な話ばかりだった。ス
スさんといると、自分の小さい頃に旅立った父親がもし生きていてアメリカに住んでいたら、こんな感じだったのではないかなーと、いつも思わせられていた。昔からのバイク好きで、長い髪をポニーテールにし、好きな酒は「ジャックとジン
ジャー」で、ススさんがびっくりする程自分はススさんと似ていて、いつもすごくかわいがってくれた。遅くなると「かーちゃんにおこられっから、そろそろいかね~となっ」と、いって帰る家には、白人の奥さんと、奥さん似のしっかり長
男、ススさんそっくりのやんちゃ双子の次男、そしてスピード狂の娘さんがいた。「離婚」ばかりのここアメリカで、ひとりのアメリカ人の女性とずーっと幸せに暮らしてきたススさんに、結婚までの話を聞いた事があった。「アメリカ来てすぐの70年代に、あるパーティーで一目惚れして、その後何回かデートして、しつこく何度も「結婚してくれ~」っていってたら、最後には「オーケー」っていわれてさ、嬉しかったね~、あの時は」と、楽しそうに話してくれたのを今でも覚えている。それくらいアタック連続してやっと「オッケー」でるような、何年経っても楽しそうに話せるような「結婚」が、自分にもあっているような気がした。ユニークで、面白くて、とても優しいススさんに会えないと思うと、とてつもなくココロ悲しくなりますが、「おいおいテットそんな暗い顔してたら、オレのバイクパンクしちまうよっ」と、いいながら、両方サイドカー付きの真っ赤なインディアンに、おねーちゃんたくさん乗せて、明るく楽しい天国に向かっていった事は、確実であります。ポカポカの雲ひとつない晴天の日に旅立った斉藤進さんに、「いってらっしゃい、また後で。ススさん」

素敵なジャズをいつも紹介してくれたススさんに、永遠の愛をこめて:
http://www.youtube.com/watch?v=vDN5rG3wLa4