和知直頼 (わち なおより) | げむおた街道をゆく

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和知 直頼(わち なおより、生没年不詳)は戦国時代、陸奥国の白河結城氏に仕えた武将。受領名は右馬助。
和知氏は白河結城氏の支流であり、重臣を務めた家柄である。和知氏には十郎、美濃守を名乗る系統と右馬助、周防守を名乗る家系の二流あり、直頼は後者の系譜を引く。通字は「頼」とされている。結城義顕を白河城から追放し、小峰義親の入城を手引きした和知美濃守は前者の系統を引くという。
天文4年(1535年)には白河氏10代結城義綱の近津大明神への寄進状の添状を発給している。この文書の付箋に「白河宿老」と記載されており、上級家臣であることがうかがえる。
天文13年(1544年)、義綱が鹿王山最勝寺に銅鐘を奉納した際は直頼は奉行を務めており、銘文に名が刻まれている。
永禄4年(1561年)の書状を最後にその後の事跡は不明であり、この頃に死没したと思われる。


以上、Wikiより。



和知直頼