江馬 時盛(えま ときもり、永正元年(1504年) - 天正6年7月16日(1578年8月19日))は飛騨の国人。通称は左馬介。子に輝盛、貞盛、信盛。
姉小路氏と飛騨の覇権をめぐってたびたび争ったという。1578年、甲斐の武田氏と手を結ぼうとしたが、それに反対した嫡男の輝盛によって暗殺された。
武田信玄に従属に近い関係を思わせる書状を送付したり、贈り物をするなどしていたことから、すでに武田と結んでいたという説もある。歴史関係の書籍で、武田氏の「勢力範囲」として飛騨の一部を含んでいると記述される場合は、江馬氏が結んでいたという解釈によるものである。
以上、Wikiより。