入来院重朝 (いりきいん しげとも) | げむおた街道をゆく

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入来院 重朝(いりきいん しげとも、生没年不詳)は、戦国時代の薩摩国武将で、入来院氏12代当主。通称は又五郎。官位は石見守。父は入来院重聡、子に入来院重嗣、副田重郷、岡本重博。妹は島津貴久継室の雪窓夫人。



ー 生涯 -
入来院重総の嫡子として誕生。天文8年(1539年)に父と共に島津貴久による薩州家島津実久方の市来攻めに参加、市来平城を攻め落としたが、父が老体を理由に暇を告げたために、以後は重朝が代わって自軍を率い、続く市来本城(市来鶴丸城)攻めにも参加し功を為した。
また、同年8月には薩州家に奪われていた百次城を取り返し、翌9月には隈之城をも奪い返した。
以後も変わらず島津氏宗家に付き従っていたが、天文13年(1544年)重朝が東郷氏・祁答院氏に与して叛乱するという噂が立つ。重朝は貴久へ弁明したが聞き入れられず、出仕停止を言い渡された上に、翌年の8月に郡山城を召し上げられてしまった。これを恨んだ重朝は貴久に反旗を翻した。
没年は不明ながら7月16日に死去。法号は「心翁定安大禅寺」。


以上、Wikiより。



入来院重朝