入来院重時 (いりきいん しげとき) | げむおた街道をゆく

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入来院 重時(いりきいん しげとき、天正元年(1573年) - 慶長5年9月23日(1600年10月29日))は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。通称、又六・鎌三郎。官位は弾正少弼。妻は島津歳久の娘[1]



ー 生涯 -
島津以久の次男。男子のなかった入来院重豊の養嗣子として入り、入来院氏の第15代当主となる。秀吉の九州征伐では島津歳久・新納忠元らと共に奮戦した。
朝鮮の役にも島津義弘に従い渡海した(文禄の役では一族が渡海し、本人は本国に残っている)。慶長4年(1599年)の庄内の乱では重時は島津宗家側に属したものの、伊集院忠真側に入来院氏の家臣が参加していた事から、徳川家康に釈明するため上京した島津忠恒に同行している。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは義弘の隊に従軍していたが、撤退戦で本隊とはぐれてしまい、近江国[2]で東軍の兵に発見され、主従7名と共に討ち取られた。
重時には女子しか子がいなかったため、入来院氏には島津義虎の五男が婿養子入りし、入来院重高と名乗って家督を継いだ。


以上、Wikiより。



入来院重時