松竹俳優録10 山本豊三 その2 | お宝映画・番組私的見聞録

松竹俳優録10 山本豊三 その2

前回の続きである。
三上真一郎によれば、山本豊三は干されていた時期に「仕事がない」と嘆きながらも、銀座の喫茶店で新東宝女優である北沢典子と合っているのを目撃したという。もっとも北沢は一人ではなく、母親(と思われる女性)と一緒だったという。「まあ電話するよ、じゃあな」と、かなり親しげだったようだが、豊三が婚約したのは、やはり新東宝出身である大空真弓であった。
三上の記憶では、大空が「台所太平記」(63年)の撮影中に熱海に(三上を伴い)合いにいったというから、北沢と合っているのを目撃してから二年は経っていたと思われる。新東宝は既に潰れ、彼女はフリーになっていた時期。どこでどう出会ったのかは不明だが、二人は婚約者という間柄になっていたらしい。
三上、北沢を含めた共通点といえば、四人ともエランドール新人賞を受賞しているのだが、1年づつずれており(57~60年、北沢→大空→山本→三上の順)、そこで出会ったというわけではなさそうだ。
三上が急な仕事でとんぼ返りして、翌日熱海を訪れると、大空真弓は怒っていたようだったという。「しょうがねえなあ」と能天気な豊三であったが、その数カ月後、豊三は彼女に婚約指輪を突き返されたのであった。御存知のとおり、大空真弓は68年にやはり松竹出身の勝呂誉と結婚するのである(後に離婚)。豊三は新東宝女優、大空は松竹男優が好きなのであろうか。ちなみに、豊三、大空、三上、勝呂は全員40年生まれである。
その翌年くらいと思われるが、三上はかしまし娘の大阪中座の記念公演に参加することになっていたのだが、撮影が延び参加が困難となったため、代役となったのが豊三だったのである。豊三は、かしまし娘の真ん中である正司照枝に大阪の街を案内され、夜な夜な飲み歩いていたらしいが、そのうち一線を越えてしまったという。豊三は年上の姐さんタイプが好きということで、7歳上の照枝と結ばれても不思議ではなかったと三上は述べている。
二人は婚約し、かしまし娘の解散も決まっていたのだが、その年明けに解散が中止になったのである。解散ということでかしまし娘のスケジュールはびっしり組まれ、結婚前の二人はほとんど会えなくなり、寂しさをまぎらわそうと銀座に通っていた豊三は、小さなバーのママと一線を越えてしまったのである。しかも彼女は妊娠してしまい、照枝も父無し子にするわけにはいかないと、豊三との結婚を諦めたのであった。68年に豊三が結婚した女性はその時のバーのママだったと思われる。
豊三がスクリーンを離れたのは、松竹を離れたこともあったが、67年あたりからバセドウ氏病に苦しんでいだということもあったようだ。それでも、たまにドラマには顔を出しており、79年に病気も回復したと「日本映画俳優全集・男優編」には書かれているが、その姿はテレビでも見かけなくなる。夫人とスナックをやっていたというが、現在の状況は不明である。