松竹俳優録2 岸 恵子 その3 | お宝映画・番組私的見聞録

松竹俳優録2 岸 恵子 その3

岸恵子によれば、「ハワイの夜」の撮影前に鶴田浩二が失踪したという。ノイローゼ気味だったらしいが、岸との共演を周囲が反対したことがきっかけになったようだ。敏腕マネージャーで知られた兼松廉吉は全国の警察に手配するくらいに心配したというが、岸はかつて「獣の宿」で撮影に使った山中湖に違いないと直感したという。
実際、鶴田は山中湖の舟の上で睡眠薬を飲んだ状態で発見されたという。しかし、当時その事件が知れ渡ることはなかった。回復しても鶴田は岸との公演を希望し、兼松は「そんなに言い張るなら何でもすればいい」と二人をハワイへ送ったのである。
鶴田は自殺未遂騒ぎを起こすくらい岸に入れ込んでいたが、岸の方はそこまで思っていたのかはわからない。「私に関してはものすごく立派で、紳士だったし、素敵な人だった」と語るにとどまっている。
53年3月、岸は松竹に復帰する。他者に奪われるよりは自社へという松竹の考え方と、岸も以前に比べて自由が得られそうだという両者の思惑が一致したからだと言われている。
彼女をトップクラスの人気女優に押し上げたのは「君の名は」(53年)であろう。しかし、彼女の「君の名は」に対する評価は辛辣なものである。「話の内容がひどい」とか「何でこんなのに出なきゃいけないんだろう」とか、「こういったメロドラマに出されるのなら、当たらないより当たった作品に出たほうがいいわね」などクールな発言に終始している。
丁度、このころ大映から「地獄門」への出演オファーがあったのだが、松竹との再度のトラブルが予想されるのを好まず「君の名は」に出演を決めたという経緯があった。また、「君の名は」に出たために「メロドラマ女優だから」と、木下恵介などいい監督がなかなか使ってくれなかった、と岸は考えていたのである。
加えて、あくまでも立場は研修生であり、出演料は5万円で変わらず。相手役の佐田啓二は50万円である。「君の名は」は彼女を人気女優にしたが、本人にとっては良くないことも多かったようである。
54年4月には、2月に切れていた他社出演の自由もありという松竹との契約に応じると同時に、久我美子、有馬稲子と三人で「文芸プロダクション・にんじんくらぶ」を結成している。これで一気に百万円に上がったという。
56年には日仏合作映画「忘れ得ぬ慕情」に出演したが、それをきっかけに、翌57年には同作のフランス人監督イヴ・シャンピと結婚し、フランスに移住した。当時は国際結婚も珍しく、「毛唐なんかと」と否定的に見る輩も多く、横浜の家から彼女とシャンピが車で出てくると高校生に石を投げられたこともあったという。その後は、シャンピとは離婚したがパリに住居を構え、日本とパリを往復しながら女優を続けているのは、ご存知の人も多いだろう。