東映俳優録31 西田良(+川谷拓三) | お宝映画・番組私的見聞録

東映俳優録31 西田良(+川谷拓三)

「仮面の忍者赤影」(67~68年)では東映大部屋役者が大活躍していたが、もちろんこの番組においてもセリフもなく、名前もクレジットされない役者たちはいた。
今では結構知られている話なのだが、あの川谷拓三もその一人である。敵の下忍の役で忍者装束で目だけ見えているというスタイル。セリフもなく要するに斬られ役なわけだが、意外とこれがわかるのである。第何話とかは忘れたが眼だけしか見えていないくてもアップになるので、「今の川谷拓三だ」と判別できるのだ(他にも侍役などで何回か出演している)。
それと同じ役で出ていたと思われるのが西田良である。思われると書いたのは特にそういった確定情報がないからなのだが、川谷の次に眼だけ見えるアップが西田であると思われる。
実はこの二人、60年4月に京都撮影所に入社している同期なのである。ニューフェイスでいえば、第7期が同期にあたる。だから、同じような役をやっていたとしても不思議ではないのだ。もちろん、その顔や目に特徴があるから(猿顔)、隠していてもわかりやすいのである。
西田良は39年生まれ。高校在学中に太秦演技研究所に入所。卒業後には研究所仲間と劇団「現俳」を結成し、開局まもない関西テレビのスタジオ生ドラマ等に出演していた。そして、前述のとおり60年4月に東映京都撮影所に入社した。
当初は本名の西田良明として活動。モブやエキストラ、斬られ役などをやっていたが、チャンバラトリオの項でも書いた東映剣会のメンバーに合格してから目立つ役も増え始めた。
「赤影」では名もなき役を演じていた一方で、ほぼ同時期にスタートした「俺は用心棒」(67年)では、坂口祐三郎が「新選組血風録」で演じた山崎烝の役を西田が演じていたのである。実は坂口も「赤影」との二択を迫られ「赤影」を選んだわけだが、「俺は用心棒」への出演を選んでいたら俳優人生も変わっていただろう、とその後も考えることがあったようだ。
これ以降の用心棒シリーズにも西田は小田部通麿、香月涼二と共にレギュラーとして出演した。
「燃えよ剣」(70年)では、新選組の原田左之助役を演じているが、これには前回の有川正治が関係している。有川は「燃えよ剣」では「新選組血風録」(65年)でも演じた永倉新八役を依頼されたが、あの名プロデューサー俊藤浩滋から映画を優先するように言われ、「燃えよ剣」の河野寿一監督に西田を伴って謝罪に行き、「西田を何かで使ってください」とお願いしたという。
元々、西田は栗塚旭主演の時代劇シリーズ常連であったので、黙っていても何かの役には抜擢されたと思われるが、原田左之助役だったかはわからない。有川の進言が関係したのかもしれない。
その後、西田は舞台でも原田左之助役を演じたりしており、プロフィールにも自身の代表作として挙げている。
川谷拓三も「燃えよ剣」には何度か出演しているが役柄は「新選組隊士」であった。後に誰もが知る役者となる川谷だが、当時は西田の方がずっと名が知れていたと思われる。