= 休む =
今日も私が相談を受けた時に
お伝えしていることについての補足です。
今日は不登校から立ち上がるまでの過程で書いた
「ゆっくり休む」
「安息の領域」
について。
よく頂く質問で多いのが
「子どもをゆっくり休ませることと言われても
もう◯ヶ月も学校休んでいるんですけど」
というものです。
この場合、学校は休んでいても
心は休めていないのかも知れません。
学校は休んでいても心休めていないとは
自身を責めたり
いつも焦ったり
現実逃避したり
他にもあると思います。
そうならないためには
周りの方のその子への
その子の今の状態への
受け止め方が大切です。
= 立ち上がる過程 =
「学校に行かなければ、でも行けない」
これが葛藤している状態です。
気持と体の反応
相反する両者がその人を苦しめます。
その苦しみが限界に来て動けなくなる。
それが不登校です。
逆に抑えられなくなる。
それが非行です。
そんな時は葛藤から安息の領域へ。
葛藤の苦しさから開放することです。
葛藤 → 安息
安息の領域で安心して休む。
休んでいるとどうなると思いますか?
また自ら葛藤の領域に戻ります。
「そろそろなにかしたい」
「やっぱり学び直したい」
「ゆっくり休めと言われても・・・」
そんな思いが沸き起こります。
葛藤 ← 安息
苦しみから安息へ。
安息から葛藤へ。
1回では立ち上がれない。
葛藤の領域でまた苦しんでしまう。
そんなことも多いでしょう。
そんな時はまた安息の領域へ。
これを繰り返します。
安息→葛藤→安息→葛藤→安息→・・・
この過程で苦しさを味わい直します。
感情は味わい直すことで浄化されます。
苦しさが浄化される。
そして少しずつ希望や想いが沸き起こる。
やがて苦しみより希望や想いが上回ります。
その瞬間その人は立ち上がります。
そんな説明をした時に頂く質問が上記の
「もう◯ヶ月も休んでいるのに」
です。
= 再定義「休む」 =
いくら休んでも立ち上がる兆しがない。
もしそうであるなら
学校は休んでいても心から安心して休めていない
のかも知れません。
安心して休むためにはどうしたら良いと思いますか?
そんな時私はこうお伝えしています。
「三つのことを伝えて下さい
一つは
休んでも可能性選択肢は一切狭まらない。
もう一つは
不登校になるのは素晴らしいこと。
そして最後に
一生このままでも、居てくれるだけでいい」
この三つを伝えることです。
他にも伝えるべき言葉はあるかも知れません。
要は、焦ること一切なくゆっくり穏やかに過ごすこと。
それが休むこと、安息の領域にいることです。
= 休むとは =
何者にも焦らせられず穏やかに過ごすこと。
そして
自らもう一度葛藤の領域に挑むこと。
その結果として
新しい価値観、世界観、人生観を得られます。
これがあって人は苦しみから立ち上がれます。
人を立ち上がらせるための条件。
新しい価値観、世界観、人生観を得ることです。
その結果として、人は立ち上がります。
そのためには、まず最初に必要な過程が
安心してゆっくり休むという過程なのです。