もう随分前のことですが
私、病を患いました。

季節は今頃。
仕事は忙しくなっていた頃で
受験シーズンと相まって
どうしたものかと随分悩みました。

すぐには治る見込みもなかったので
できることをやるだけと
とりあえず治療を受けながら
仕事をそのまま続けることに。


突然仕事ができなくなる事も考え
その際迷惑をかけそうな方にのみ
事情を説明しました。

大した病気ではないとはいえ
聞かされた方は
ショックだったことと思います。

そんな中、一切口外せず
ご自身の胸の内に納めて下さった。
そんな人がほとんどでした。


そうは言っても
やがて多くの人が知ることとなり
随分治療と仕事の妨げになりました。

人を心配させた挙句に自身を拘束する。
安易にこちらの事情を公開すること
お互い良いことはないようです。


知られたくないことを
勝手に言い広められる。
こういうことはいつも最初は
口の軽い一人の馬鹿な奴から。

「私」のことです。

私が言わなければ身内も含め
誰も口外などしない。

 

全ては私の責任
心配させても悪いと思い
会いたいと声をかけて下さった方全員に
一回は会うようにしました


治療や体力低下で時間がない中
「一度会いたい」
という連絡が日に日に増えました。
会いたいという目的も色々です。

「心配だから」

「岸本に関する情報収集のため」

「自分が落ち着きたいから」

「営業」

「西洋医学否定」


特に凄いと思ったことが二つ。
一つは
どうしても会ってくれと言われ
待ち合わせ場所に行ったら
病気が治るというサプリと
合法マルチ商法(※)の契約書を持参
ということがありました。
※商品があったので合法


もう一つ
「西洋医学はダメ
これで治った人いるから」
と民間療法を勧める人。

これは心配されてのこと
ありがたいのですが、別れ際に

「実はうちの親も病気で
良い医者知らないか?」
ということがありました。
その民間療法受けさせろよ。


事なきを得
体調が快復し日常生活に戻ると
今度はそれらの方々に

「あの病気はウソ?」
と言われました。

本当は心配していなかったようで
一安心でした。

話は変わって
今日の件名
「話してくれない」
の対義語は
「自己開示」

でしょうか。

「自己開示」と称し自身のことを
被害者意識丸出しで伝え
泣いたりハグをし合う
気色悪い集団があります。

「自己開示」
自分のことを開示する
ですからそれで良いのでしょう。

でも実はこれ「返報性」という
やられると自分もやらなければ
という人間の特性や
言いたくないことを伝えてしまい
信頼せざるを得なくなる

そんな効果をを利用した
タチの悪い営業テクニックとして
使う人がいるので要注意です。


ここまで書いて「自己開示」で
もう一つ思い出したこと。

闘病中特に凄いと思った3人目です。

ある治療家
施術中に勝手に相談してきて
話し終わったところで

「私のこと話したのだから
あなたのことも話しなさい」
と無理強いされたことがあります。

「じゃぁお前も俺に治療させろ」
と言ったら断られました。

世の中気持ちに余裕のない人が
随分と多いようです。

 


今日の件名
「うちの子は何も話してくれない」
「そりゃそうだろうなぁ」

話せば楽になるものを話さないのは
話してくれないのではないのです。
話さないではなく、話せない。
誰かが話しをさせていないのです。


どういう人が話しをさせないのか。
先に書いた方々です。

「心配だから」
心配しても良いのですが
病人はそっとしておいて欲しい
と思うこともあるのです

「岸本に関する情報収集のため」
病人は晒し者になる義務があるとは

知りませんでした

「自分が落ち着きたいから」
見守ることは苦しいのでしょう
でもきっと、騒ぎ立てられる
病人の方が苦しいですよ

「営業」
あれではダメ。
営業下手過ぎます。
合法マルチは辞めて

まっとうな仕事をと思います。

「西洋医学否定」
その根拠は?
オススメ民間療法で
亡くなった方もいるのでは?
それより本当に良いものなら

まずはご自身や御身内で。

 


「見守る」の定義

 

「できることがあったら言って」
と「返信不要です」
の一言を添えてメールを送ること

先日こちらにそう書きました。

http://ameblo.jp/terakoya-arigato/entry-12214232450.html

そんな経験があったからです。
今思い出すとそんな接し方が
一番ありがたかったです。

 

「受け容れ前に進む
そのために必要なもの
そしてそれを阻むもの」

必要なものとは
見守られる体験と時間です。

阻むもの
周りが見守ることもせず
騒ぎ立てることです。

 

以上、自戒の言葉としてでした。

 

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先日東京からの帰路ご一緒した坂爪圭吾さん。

帰りの車中で『寺子屋ありがとう』でのお話会をお願いしました。

 

私の予定が空いているのが2日後だけだったので恐る恐る

「明後日なんですけど良いですか?」

と尋ねましたら


「早いですね、いいですね」
と、ご快諾。

めでたく開催となりました。

 

すごい人気なんですね。
東京からの新幹線の中で、メールマガジンで告知。

新潟に着く前にどんどんお申込みが。
もっと広い会場が良かったか。


会は参加者様方と対話形式で進めました。

参加者様方のお話も興味深いないようでした。
勇気を出してお願いして良かったです。

 

坂爪さん、良く受ける質問があるそうです。

「不安になりませんか?」

という質問です。


東京からの帰路


「人はなぜお金に執着するのか」

 

という話題になりました。

 

「不安だからでしょう」

 

坂爪さんそう話していました。

そういえば拙著にも書きました。

狩猟採集の時代から農耕の時代に変わり
食料を保存できるようになった。
保存とは所有です。

当時一番多かったはずの死因、餓死する人は激減したでしょう。


ただし人は安心より不安に意識が行きがちです。

また「所有」という概念を得た瞬間対極の概念を得てしまいます。
「喪失」、失うことです。

 

これは1年分の食料を得たら1年間食料がある安心感ではなく
1年後食料が尽きる不安を感じるという意味です。

 

それで更なる所有を延々と求め続けます。

その先にあるのが田畑を増やすための森林破壊。
生産効率をあげるための灌漑。

領土農地拡大のため労働力確保のための戦争。

 

人類は農耕が始まってから本格的な環境破壊や戦争がはじまった。
と言われています。

 

 

お話会での坂爪さんの言葉群

 

「よく、勇気ありますねって言われるけど
最初に泊めてくれた人の方がずっと勇気がある」

 

「不安にならないのは自分だけでなんとかしないから」

 

「人に頼れることこそが自立」

 

「人に頼ると思わぬ所に行ける」


これらの言葉一つ一つ、受け止め方は人それぞれでしょうね。

 

1年分の食料を目にして感じる一年後の不安。

極と極は隣り合わせ。
不安を感じる時はきっとすぐそばに安心も勇気も自信もあるはず。
見えていないだけであったはず。


不安とはそう選択した状態。
それ以外のなに者でもないのかも知れない。

今、そんな風に考えています。

 

今日の件名は
先日『聴き方教室』で出た話題。

1986年『タンスにゴン』
のテレビCMのフレーズです。

 

新語・流行語大賞
流行語部門で銅賞を受賞だそうです。

 

もう30年前なんですね。
当時は意味も分からぬまま
子どもながらに
面白がって見ていたのでしょう。
今も良く覚えています。


人は言葉になってはじめて
物事を認識できます。

 

当時の世の奥様方
なんとなく思い感じていたことを
言葉にしてもらった。

 

その前に
気づいてもいなかった本音を
言葉を介して目の当たりにして面白過ぎた。
それらがヒットの理由でしょうか。


元気でいて欲しい。
でも、居ると面倒くさい。

前者は
照れくさくもあり
後者は
言ってはならないようでもあり。

 

いずれも直接は言いづらい言葉。
本来はそうなのかも知れません。


そして、気付けずにいた本音
さらに分かりやすくいうと

 

「給料だけ入れて
余計なこと言うな」

 

ということでしょうか。
よくよく考えると酷い話ですが
面白おかしく言うと
なんでも許せる気がします。


言葉になってはじめて認識できる
自身の気持ち。
そうであるならもう一つ。

 

最期の
「大事な時だけ居るといい」
これも付け加えては?

 

そんな気持ちもありませんか?

居なければ良いのは平時のみ。
なにかあった時は
頼りになることもあるはず。
ですよね???

 

平時だけではなく有時のことも
考えて上げられたら
ご亭主は救われるような。
と、あえて言語化してみる。


それともう一つ。
このフレーズ
奥様からご亭主への気持ち
という形ですが

逆も同じですよね

 

奥様からご亭主にだから許される。

 

「女房やることやったら留守がいい」

 

とか。
これは絶対に言ってはなりません。
大変なことになりそうです。

 

世の男性
自虐ネタとして笑いながら
気づいていないながらも
自身の本音の代弁
だったのかも知れません。


午後会った男性知人にその話題

「平時であっても留守は困る」
そうです。

 

似て非なるもの

テーマ:

似て非なるもの

 

花-華

BE - be

人 - ひと

真理-常識

学び-教育

可視-認知

事業-商い

職人-作家

仕事-作業

適応-群れる

普通-多数派

価値観-受け止め方

板書する-ノートをとる

成績が悪い-頭が悪い

成績が良い-頭が良い

良い人-都合の良い人

良い人-どうでも良い人

自己開示-被害者アピール

テンション-モティべーション

自己肯定感-根拠のない自信

変えようとしない-傷を舐め合う

居場所-承認欲求を満たすだけの場

自己責任-自分以外の誰かの自己責任

 

☆おまけ

鳥-鶏

卵-玉子

 

「似て非なるもの」
思いつくまま上に書き並べました。
私が伝える難しさを感じる言葉でもあります。

 

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今週日曜日は

福島の方々を招いての保養のイベントでした。

 

私の担当は生活一般の相談です。
離れた土地に住む大変な状況にある方々。

でも周りにいる者が出来ることは
見守ることだけなのでしょう。

 

 

先日の「聴き方教室」の会場で
「見守る」
について質問がありました。


「なにか力になりたい、でもなにもできない」

この場合は見守るしかないですよね?」

 

それしかできないと分かった上での質問

だったのかと思います。

 

 

「見守る」
見えにくい言葉です。

 

見えにくいとは
どうすることなのか分かりにくいということです。

 

その結果「見守る」という言葉だけが独り歩きします。
勝手に解釈され誤用され見守れなくなる。


問われて初めて考えました。
「見守る」とはどうすることなのか。

 

放置するでも
無関心になるでもなく。

 

心配して右往左往するでも
騒ぎ立てるでもなく。

 

興味本位で
覗きこむでもなく。

 

 


大変な状況にある時

その人の心情には様々な状況と段階があります。

 

そっとしておいて欲しい時。
気にかけていて欲しいだけの時。
声をかけて欲しい時。
会って話を聴いて欲しい時。

 

その過程を見据えることが
「見守る」ことなのかと思いました。


以前大病をした際、正にこの過程で少しずつ
人に会えるようになり
話せるようになり
立ち上がれました。


今私が思う「見守る」

具体的には

「何かできることがあったら遠慮なく言って欲しい」
そんな一言を
「返信不要」のメッセージと共に伝えること。

そのくらいしか思いつきません。

 

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「お子さんのあるがままを受け入れてあげて下さい」

相談機関でよく言われるそうです。

「あるがままを受け入れたらこの子はそのままでないですか?」

そんな質問をよく受けます。

言った人に聞いてみたらちゃんと答えてもらえないとか。

 

あるがままを受け入れる

この言葉の意味

 

「その子の良いことも悪いことも受け入れる」
という説明が多いようです。


この説明でどう接したらよいか分かりますか?


「あるがままを受けいれる」
私が思う形は3つあります。


1つは
その子がやったことだけではなく、そうさせてしまったことにも意識を向けること。
なにがその子をそうさせているのかを考えることです。

 

なにか寂しいのではないか、不安なのではないか。
そんな視点を持つことです。


2つ目は
世間一般ではダメとされている面を良い意味で受け止める。

悪さをしている時は良い所には気づきにくいものですが。
それでもそこをあえて言葉で良い意味に置き換えることです。

 

「自信がない」とか「自己否定が強い」なんていうケースなら
「謙虚で慎重で向上心がある」

そう良い意味付をして見ることです。

 

言葉にすることで今までは見えなかったもう一つの受け止め方ができるようになります。


3つ目
極と極は隣り合わせ

すぐに乱れてしまう子がいるとします。

その姿はその子の優しさの反動なのかも知れません。

本来持っている優しさを素直に表せず、受け止めてももらえず。
それでなんらかの感情が暴れさせてしまう。

 

その結果さらに優しさを顕現できなくなる。
そんな悪循環から抜け出せずにいる状態なのかも知れません。

 

コワイと思っていた人ほど本当は優しかった。
そんなことはなかったですか?

 

その子の優しさを感じるではなく、その子の優しさを探すことです。
必ずそんな面があるはずです。

大変な状況の時は気づきにくいものですが。

 

ただし、悪さをしているような場合。
ダメなものはダメと伝え、押さえつけてでも止めその上での良いところをです。

 

「あるがままを受け容れる」とは、「ダメなままでいい」とは違います。

くれぐれも誤解のないように。


これら三つを意識して
はじめてもう一つの見え方ができます。

良いこともそうでないことも、その人をそのまま受け容れられます。

 

いきなり受け容れろと言われても、一杯一杯の精神状態では無理でしょう。
そばにいる大人が気持ち一杯になっている。

だからこそ、お子さんが大変な状況になっていることも少なくありません。


世間一般では「受け入れる」の表記が多いですが

それとは別なものという意味で「受け容れる」と私は表記しています。

オンリーワンとは

テーマ:

えぇぇぇぇと。
今さらですが、笑わないで下さい。
SMAP 解散決定なんですね?
知らなかったのかと生徒に呆れられました。

世間でなにか騒いでいるようなそんな声は聞こえていましたが
まさか本当に解散とは。


メンバーの人柄を労務面で分析したものを読んだことがあります。
一人一人個性があって。
それにあった役割を果たして。
だからこその長期の人気。
確かそんな内容でした。


一人一人個性的でしたね。

もちろん私はファンでもなく
誰がメンバーかさえ分かりません。

 

私の中でSMAPといえば

「No.1にならなくてもいい もともと特別なonly one」

この句です。
 

 

「世界で一つだけの花」

 

この歌とフレーズが日本の軟弱化に拍車をかけた
以前そんな批判の声を聞きいたことがあります。

そんな受け止め方もできるのかとある意味感動しました。


オンリーワンであるなら自動的にナンバーワンでもあります。
批判していた人は気づいているのでしょうか?

みんなとは同じではない従来とは異なるナンバーワンのあり方。

この歌の意味を私はそう受け止めていました。

 


~No.1にならなくてもいい もともと特別なonly one~

 

この句を諦め開き直りと受け止めるか
単なる特別意識見るか
それとも、、、
色んな受け止め方ができます。

 

諦め開き直り

どうせ一番にはなれないからみんなと一緒、平凡で結構。
そんな受け止め方もできそうです。
そうであるなら確かに軟弱化に繋がるでしょう。


特別意識

「あなたは特別 あなたのままで素晴らしい」

確かにそうなのでしょうけどそれでそのまま満足して安住の地に留まる
そんなことはないでしょうか。

一時でも幸せになれるならそれで良いのですが。
単なる見て見ぬふりの方便。
また依存心を突かれとことん利用され続ける。
そんなことも少なくないような。

 

学校、家庭、職場、地域コミュニティー
承認欲求を満たすだけの場が増えたことが日本の軟弱化の主因です。


諦め開き直りと特別意識。

上記二つに共通するのはナンバーワンの意味が誰か一人がなれるナンバーワン
ということです。

それは他者と競い抜きん出ること、そこにこそ価値がある。
という思想が根底にあります。

 

 

もう一つの受け止め方として
自分だけがではなく他の誰か一人がでもなく全ての人が
もともと特別なオンリーワン。

 

要は
その分野、時、場、誰かにとって、ナンバーワンであるということ。
それがオンリーワンでありナンバーワンであること。

 

自分だけがでもなく他の誰かだけがでもなく。
全ての人が特別でオンリーワンでナンバーワン。

 

全ての人が特別なら特別な人はいなくもあり特別でない人もいなくもあり。
どちらを見るかの話です。

 


先日フリースクール設立支援でお邪魔した教室。

 

「特別でなければという呪縛は競い合う文化が持たせたもの
その源流は教育ですか?」

 

そんな質問をいただきました。
正にその通りかと思います。

 

競い合う文化人生の中で最初に触れるのは受験勉強でしょうか。

そこに求められるものは決められた内容を期限内に習得すること。

 

ただ一つの価値を基準に上下優劣を決められる。
ここに全ての人が特別という概念は入れません。

国が司る教育制度ですから必ず国の思惑が入ります。

 

明治5年

徴兵制度の前年にできたのが日本の義務教育制度
なにを目的としたものか。

 

ただ、義務教育制度の功績は大きい。
多くの人に学ぶ機会を与えてくれました。

 

この制度がなければ私が今パソコンの前に座っていることもなかったでしょう。

学ぶ土壌はもらった。
あとはそれに流されずみんなが特別で

そうでない人など誰もいないことを忘れないことです。


「フリースクール」
少なくとも「学校」や「塾」とは異なるものなのですから
異質なものを提供できなければ存在する意味はないですね。

それが私の中でオンリーワンであることです。


それにしても、、、
SMAPの解散は衝撃的でした。

先日知人が139㎞の24時間マラソンに挑戦しました。

2年前に100㎞
去年は111km
そして今年は139㎞
この距離を24時間で走る挑戦です。

 

走るのは牛腸さんという介護職員の若い男性。

何よりすごいのは1週間後の新潟シティーマラソンにもフルコースにエントリー。
こちらも毎年走破しています。


年々距離が伸びています。

理由は

「成長したいから」

だそうです。

 

「来年は150㎞ですか?」
そう尋ねましたら今年で最後だそうです。

寂しい気持ちを伝えましたら

「このイベントは無くしません、後継者を探します」

「なんなら、俺やろうか?」
言ってしまった。
バカバカバカバカ。

 

 

先日web『聴き方教室』第3回の動画配信しました。

徐々に作業の要領を得てきました。
動画配信なんて私には無理と思っていましたが
無理なことなどないですね。

 

 

今回のテーマは『リソース』

 

やれる可能性があるからやってみたいと思う。
やってみたいと思うから障害となるものが見えてくる。
障害が見えるから無理と思う。

 

そうであるなら無理と思えることは
やれる可能性があるということ。


本当にやれなかったらやろうと思えませんから
無理とも思えません。


これが私が考える
「乗り越えられない壁は訪れない」
という言葉の意味です。

 

 

乗り越えるための「力」「知恵」
そして乗り越えられることに気付かせてくれる「問題」。

「力」「知恵」「問題」
この3つがその人の「リソース」。
日本語で「資源」です。

 

やりたいと思うことを挫折するのは

お金が尽きるか心が折れるか。

 

そうならないためにはそのやりたいという想いが

高揚感テンションではなく、内からの動機づけモティベーションであること。

 

そのためには所有や評価のためではなく永続的に意義を感じられるなにか。
そのためにやると気付けていること。


web『聴き方教室』

知人のコンサルタントにコンテンツの商品化として勧められた時は全く動けず。

それが

「いつも参加できない人のために」
そう気付けたらあっという間に出来上がりました。

 

自身のリソースに気づき発揮させるために必要なこと。

こんなもののようです。

 

もしかしたら
来年24時間100kmのゴールテープ切っているかも知れません。

ウソウソ。
 

先日金曜日は早朝新潟を出て福島ヘ。

朝4時起きでした。

 

前日は日が変わっての就寝でしたが、目覚まし時計より早い目覚め。
小学生の遠足か?

 

福島への道中。

紅葉はまだでしたがススキが光っていました。

川沿いの景色堪能できました。

 

福島へは11月まで定期的に続く出張が入りました。

日程的に日帰りはできても、新潟に戻っても時間はなく

折角だから福島で有意義な時間をと思い、出張の他に連続講座の受講。

そして『聴き方教室』を主催していただきました。

 

今回主催して下さったのはこの春まで震災のため新潟に避難されていた方。

新潟でも避難者の方対象の『聴き方教室』をやっています。
そちらの主催者様でもありました。

 

避難生活を送られる方限定の会。

そのためか、この会は他の会と少し違う雰囲気です。

震災だけではなく杜撰な運営が原因の原発事故。

それが原因である日突然、今まで当たり前のようにあった生活を奪われた。

原発からさほど近い地に住むでもなく、原発でおいしい思いなど一切していない方々です。

参加者のみなさま、理不尽な思いをされたことでしょう。

 

そんな場で私ごときがなにを提供できるのか、したら良いのか。
ご依頼を頂いた時はそんな葛藤がありました。

ただ、同じような境遇で分かろうとし合える方同士。

説明など必要もなく私はただそこにいるだけでした。

 

事故後の対応もいい加減さ杜撰さは酷く状況は日に日に悪化しています。

ただ、改められない状況、無かったことにはできない現実はあっても

人が抱える苦しさは時間が解決してくれることもあるようです。


「与えられた状況で、最高に生きると覚悟すること」

「聴き方教室」の中での受容、受け容れることの定義です。

この受け容れるために出来ることを精一杯やりきる。
そのための頑張るです。


やるだけやったら傷つき苦しんだ分だけ強くなれる。

福島のみなさまからはそんな生き方を見せていただきました。

そんな方々との再会。

朝、目覚し時計より早くが覚めたのは

道中の風景撮影が楽しみだからではなく
参加して下さる皆様と再会がそうさせてくれたようです。

 

 

【参考書籍】

「放射能下の日本で暮らすには?」
田中優 著
https://goo.gl/16DOZa

 

「やるだけやったら」
やれること、やらなければならないことはまだまだありそうです。

時間が解決してくれるのは心の苦しさだけ。

先週は『聴き方教室』が続きました。
その中で話題になったことの一つが「頑固親父」。

 

ある受講生のお話。
ご近所のおじいさんがいきなり家に怒鳴りこんできたそうです。

びっくりしますよね。

それでも

「小さな子がいるから静かに!」

 

と怒鳴り返した上でなにがあったか話を聴いたそうです。

前日の祭りのゴミ拾いをして疲れた。
というのが怒鳴りこんだ理由だとか。

なんて理不尽な。

 


私を含め私より上の世代は独特の美学を持っている人がいます。

イメージとしては高倉健さん。
誰かのために人知れず、自分の気持ちを抑えて、自分がやったと悟られないまま、
そして静かに立ち去る。
そんな感じです。


私は今もそんな姿をカッコイイなぁと思います。

なにがカッコイイか?


一見承認欲求から完全に開放されているところです。

でもあの寂しそうな陰を感じさせる姿は、開放されていないのか?

達観というよりなにかを諦めたような。

 

でも困っている人の姿を見ると自分を抑えられなくなる。

周りの人はともかく、家族としては困った性格です。

 


話を戻して怒鳴りこんだおじいさん。
祭りの会場をご近所のために人知れず掃除をしていた。

暑い、疲れた
誰も感謝の言葉もかけてくれない。

寂しさが募り限界に。
そして怒鳴りこんだ。

 

ということですかね?
私の勝手な解釈です。
というか私ならそうしてしまうかも知れないという話です。

 

 

ここが高倉健さんとの違いです。
「さすが健さん」
と思ってしまいそうです。


でも比較するのは待ってください。

高倉健さんとそのおじいさん、決定的に違うものがあります。

映画を観れば分かりますが、人知れず誰かのためにそんな役回り。
といっても健さんの場合何人かは知っているのですその苦労を。

 

そして感謝され労われ慕われています。

そして宣伝がましいことを一切しないから格好いい
のではなく。

誰か一人でも解ってくれるから、宣伝がましいことをせずに済む。
私はそう思ってしまいますが、違いますかね?


頑固で困った人
それはきっと寂しいんじゃないでしょうか。
そんな人には一言、ねぎらいや感謝のの言葉をかけること。

 

そんな時お互いが救われる気持ちになるのではないでしょうか。

宣伝がましいことをしないから信頼されるのではなく
信頼されるから宣伝がましいことをしなくてすむ。

人はそれほど強くはない。
そんな気がします。

 

私がなぜそう思うか?
私がそうだからです。

感謝ねぎらい大歓迎です。