皆様。


今回の大震災で、日本政府は何も補償してくれないことがよくわかりました。


私のほうで、今回の震災前から掲げている以下の公約。


9 千代田区独自の防災ヘリ(または専用高速船)、専用ヘリポート予算の確保

ですが、これは千代田区民が最終的に自分たちの力で、千代田区民の安全を守るために必要な設備です。


2011年3月11日の夜8時ころを思い出してください。


いつもなら、20分程度で車ならつく距離でも、数時間かかるぐらい渋滞しましたよね。


あれば、首都高以外の全部の道路が無事の状態だったとしても、ああいったことが起きます


ということは、大規模な地震がきたら、道路が一部寸断され、もっとパニック状態になったとしたら、あの時よりもヒドイ渋滞が発生し、千代田区から一歩も出ることが不可能になります。


そのとき、救急車を使おうが、パトカーだろが、まったく機能しません。


というか、パトカーや救急車は、千代田区民を優先してくれるわけないので、結局はほとんどの人が呼んでも、公的な機関は一切の対応をしてくれません


そんなときは、千代田区の専用防災ヘリ&防災用高速船が大活躍します。


千代田区民には、千代田区民を証明するIDカードを配布し、防災ヘリや防災用高速船には優先搭乗できます。


なので、千代田区が指定する緊急着陸用ヘリポートというか、たぶん学校の校庭やビルの上などのヘリ着陸可能ポイントを指定して、そこからピストン輸送する形になります。


ともかく、最後に自分たちのことを守るのは、自分たちが所属する千代田区だけです。


警察も、消防も、東京都も、自衛隊も、災害時には昼間人口80万人の千代田区にきている人たちの対応で精一杯です。


税金払って、すんでいる4万人の千代田区民は、昼間の80万人と同じ対応だと、絶対に大混乱します。


4万人の千代田区民は、昼間人口80万人とは違ったルーチンで、被災対応をしないとみんなが死んでしまいます。


まず、千代田区民の怪我や病気の人は、防災ヘリで緊急搬送

緊急搬送が一段落したら、千代田区民の妊婦・乳児などの一時的な地方宿泊施設への非難輸送

千代田区の備蓄食料も3~4日で底をつくと思うので、防災ヘリを使った避難所への食料などの輸送


なとの順番になります。


各避難所には、入り口に警備員を常駐させ、千代田区民と千代田区民以外を徹底的に区別させます。


ここまでやって、はじめて千代田区民であったことを感謝いただけると思います。


こういうふうに書くと、差別主義のように思われるかもしれませんが、今回の仙台市ぐらいのレベルだと、避難所なんか満杯で入れてくれません


実際に、被災して入れてくれなかった人の例です。


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被災した「なんでんかんでん」川原社長が語る東日本大震災の惨状(3)

http://npn.co.jp/article/detail/56874695/

仙台で被災した、マネーの虎でおなじみのラーメン店「なんでんかんでん」川原ひろし社長(47)が大震災体験を語ってくれた。

あの大津波が襲来した翌日、目に入った景色は壮絶なものだった。

 --津波が引いたあとは地獄絵図だった?
 川原 道路がみんな砂浜みたいになってるのよ。まず車(乗ってきたワゴン)を探しましたね。

まあ、流されてるだろうな、とは思ってたんだけど。

でもなんとか見つかった。やっぱりぐちゃぐちゃですよ。悪夢のような一夜だったけど、ある意味「夢」みたいだったんだよね。

でも、この瞬間に理解しましたよ。「あ、ボクらは被災者なんだな」って。

電気、ガス、水道全部止まってる。余震も怖い。

しかし、ボクらはここを、この時間をなんとか生き延びなくちゃならない。

言葉は適当ではないかもしれないけど「戦時下」の状態ですよ。

遠くでは火力発電所の燃料タンクが爆発して黒煙上げているし、周りは瓦礫の山だし…。

少し瓦礫を動かすと逃げ遅れた方々の遺体が何体も目に入る。でもどうすることもできないんだよね。

 --生き延びるためにどう行動?
 川原 とりあえず、宿泊していたホテルに戻ろうと。

イベントで同じ宿に泊まっていた人たちと感覚を頼りに歩き出しました。

ホテル・ルートイン多賀城は一階部分は車などが突っ込んでメチャクチャでしたけど、ボクらの部屋は4階だったから大丈夫だった。

助けがくるまで数日間、何とかしなくちゃいけない。

でも、近くのコンビニエンスストアもぐちゃぐちゃで機能していなかった。

最近の報道で火事場泥棒みたいなのが出没してるってのを聞いたけど、震災翌日の被災者の行動は大目に見てほしいな。生きるので精一杯だったんだから。

 --水や食べ物はどうした?
 川原 ボクらが幸運だったのはフードショーに出店するために来ていたこと。

もうひとつ幸運だったのは出店していた店舗が共用していた食材の大型冷凍車が1台だけ奇跡的に流されずに残っていたんだよ。

バスぐらいのデッカイやつだったからね。

密封性が良くて、ほとんど水が入っていなかった。中には食材がいっぱい入っていて助かったんです。

ホテルに持ち帰ってカセットコンロで焼いて食べることができました。

また、ホテルの手前に「ビックリドンキー」(ハンバーグ店)があって、その店主がこのままだと腐ってしまうからと言ってハンバーグを差し入れてくれたんです。人の温かみをこんな時にヒシヒシと感じましたね。

 --外部との連絡は取れなかった?
 川原 電話はまったく繋がらなかったね。

でもみんなかけるから電池が切れる。

なかにはたまたま電池式の充電器持ってる人がいて、一躍ヒーローでしたね。

電気がないからテレビは当然見れない。

ラジオからの情報が少し、あと新聞は読めたな。

だけど、こんな東北地方全体にひどいことになってるとは思わなかったな。

 --避難所には行かなかったのか?
 川原 ホテルの従業員に安全の保証ができませんと言われたので、避難所に行ったのよ。

13日のことだったかな。

でも、もう満杯で入れませんってことだったのかな。

鍵が掛かっていた。

仕方がないとホテルに戻ったんですよ。

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となっています。


注目してほしい部分はココ


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ホテルの従業員に安全の保証ができませんと言われたので、避難所に行ったのよ。

13日のことだったかな。

でも、もう満杯で入れませんってことだったのかな。

鍵が掛かっていた。

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となっています。

都市部で被災すると、大混乱のため、実際は上記のような対応となります。


テレビで語られる美談とはまったく違い、現実はかなり厳しいです。


なので、私たち千代田区民は、千代田区が守る必要があるんです!


ヒューマニズムを大切にする方は、避難所にも入れず、運が悪いと、そのまま飢え死ぬだけです。


怪我をしていたり、持病を抱えていたら、たぶんそのまま治療が遅れて死んでしまいます。


2000万人の東京圏が被災したら、食糧不足でかなりの人が死にます。


なので、私たちは自分たちで、自分の身を守る必要が絶対にあるんです。


あと、今回の震災で思ったのは、実際は道路は結構隆起したり、陥没するので、千代田区が保有する車は全車パジェロなどの悪路を走れる四輪駆動車にする必要があります。


こういったところまで、考えている千代田区の区議会議員はいるのかしら?


少なくとも、石川区長は頭の中お花畑だから、何も考えてないと思うけど。


千代田区で、今大きな地震がきたら、大量の千代田区民が千代田区の準備不足のため、人災で死にます。


私は、そんなことを絶対に許しません!


絶対に変えてみせます!


区議会議員になっても、たいして変わらないとおもうけど、区長になったらどんどん変えてみせます!


専決という、必殺技でどんどん条例や予算通せるので、どんどんやります。


みてろよ!


石川区長!