記録(30) 「なんで眼医者に行くの?」 | 鉄砲玉の義眼体験記 & ときどきワンコ

定期検査目病院って、
病気の経過観察以外にも予防の為に、行ける余裕が有れば行った方が良いと今なら理解出来るのですが…。


でも、私は小学校高学年学校から一切目医者には行かなくなりました。

 

 

 

 

 

 


理由は簡単。

診て貰う意味が無い

と感じたからです。


なんて言うのでしょうか、不必要とかではなくて…シラー

左目が見えなくなったのは経過が有り時間を掛けて起こったのではなく、短い時間で起こったんだと言われていたし、結局治すどころか治療1つしてくれなかったんだしねしょぼん

治せないなら無駄な事1

治療しないならなんの意味があるプンプン

なら状況確認をしたって意味無かろうえー

って感じかな…。

まぁ~~ひねくれた性格。
ナチュラルにひねくれてましたからね小学生でも口笛(今でも?)

今回は良い考えを持てずそう至った所をお題にしようと思いますaya

 

 



 

幼少期赤ちゃん白色瞳孔が見つかり小児がんを疑われ、結果として左目が失明したと言う事実だけが残った私。

治療なんて物は無いまま大学病院病院での検査が終わり、最初に受診した眼医者病院に戻る形で定期検診が続く事になりました。

最初は短いスパンで行ってたと思いますが、段々と半年おき、1年おき位になってました。

今から約30年ほど昔…。
それなりの設備の眼医者などそんなに多くはなく、そこに行くのに親父が車車で送ってくれたり、帰りはバスバスを乗り継いで帰ったり、それだけで1日が終わる位でした。

現在でも人気の有る病院ならそうかも知れませんが、予約して行っても予定通りの時間になんか見て貰えませんからね~汗

それこそ受付開始前から並んで診察券渡してひたすら待つだけ


でも、それらは仕方無い物だと思いました。
眼医者に診て貰うのって、そう言う手間は要るんだろうなって子供ながら思っていましたから。
行く回数は結構多かったと思いますが、身近な存在と思った事は有りませんでした。
ちょっと特別な部類の医者だと思ってたし、お薬もくれないしね薬


今思い起こせば診察中に見える目に散瞳薬目薬すら使った事が無い…。

真っ暗闇から四方に配置している人形おとめ座やおもちゃピエロを照らし、
「あそこに見える人形見て、今度はこっちに見えるロボット見て、そのまま見てるんだよ」
って言われて目線が固定された後、照射が消え瞳孔が開いたらあの眩しい眼底検査機の光を当てられ診察されるひらめき電球目

今みたいにデジカメカメラは付いてませんから瞳孔が閉まるまでの間が勝負で…、
私か医者か、
どちらかの息が合わなければやり直しで何回も眩しい目に会う…。

物心付いて以降は、眩しくて耐えられなくてとっても嫌で嫌で仕方がありませんでした。

当時でも散瞳薬目薬が有ったのは最近調べて知りました。

ひょっとしたら当時の先生は小学校とかも回っていて子供の診察に慣れた優しい方医者だったので、あえて散瞳薬目薬を使わなかったのかなとも思います微笑み顔

散瞳薬目薬を使って検査したらしたで検査は早いかもしれないけど眩しさが余計に辛かっただろうなぁ~
大人になって初めて使った時に元に戻るまでまともに歩けもしなかったし帰るの大変だったしょぼん


でもね…、
何も変わらないんです。

毎回行って同じ事をし、
毎回「今回も問題なし」と言われ、
見えない目が見えるようになる訳でもなく、
見える目が悪くもなっていなく…。


「こんな眩しくて嫌な事して、何の意味が有るの?目は見えてるのに」
「一杯見たってどうせ悪い目は見えるようにならないのに・・」

と私には意味が無い事と感じていました。

そして、こんな事は幼馴染みも同級生もする訳ではなく、私だけがしなくてはいけない事に疑問も有りました。


同じ事を繰り返し何も変化のない状況でしたし、思った事は母に素直に聞きました。

「なんで眼医者なんか行くの?

そう尋ねた事は何回か有ります。

もし見えてる方の目が見えてない目と同じようになったら大変だから」

そんな返事が帰ってきたと思います。


だけどね…、
私は納得してませんでした。

見える目は当時とても健全で、他の子に比べたって視力も格段に良く2.0有ったし何でも出来てたと思ってた。

小さい頃から父親の仕事の手伝いとかもしてたし、片目が見えない事なんか別に問題とも思って無かった。

身体的な事で他の子より劣ってると思った事は一度も無かったですしね

見えない目も治してくれないのに何が眼医者なんだろう…。

いつでもそんな燻った感情は持ち続けていました。



そこから不快な事が起こり「2度と行くか~」って感じになりました。
元々行かなくてよい理由を探してた筈ですが・・。

行かなくなった理由は二つ、

ひとつは、小学校四年くらいで見えない目が白内障になり眼医者に行ったけど「見えない方の目だから」と特に何もして貰えなかった事。

 

 

 


「現存一枚だけの白内障の写真(後は捨てた)」
 

もうひとつは、その後も眼医者には行ったけど何も変わらない状況に母も私もマンネリ化して来て・・。
とある用事が重なった日、母は私に一人で眼科に行くようにと言った。
勿論用事が無ければ一緒に行ってた筈ですが、一人で行ってもする事は同じ、結果も予想通り何も無い訳で私は思った。

結局最後はほったらかしかい
何も変わらんのにほなもう行かん


口にはそんな事は出しませんけどね、
「行っても同じやしもう行かへん」
とは言ったと思います。

小学生高学年の頃の私は、「目の事や障害者の話をする」母は嫌いでした。

母は日頃から体の不自由な方や障害の有る方を見ても「かわいそう」とは言わず
「その人にはその人の運命(さだめ)が有る」
「自分(の意志)を持っていれば何もかわいそうな事じゃない」

こう言ってました。

今なら良く分かるんですaya
でもその頃の私には反発意識しか有りませんでしたので・・。

「自分勝手な意見だよそれ、なってる本人は好きでそんな状況になってるんやないで」
「自分の子がこんな状況でそんな事言っても言い訳にしか聞こえない」

「自分の失敗でこうなった訳でもないのに何がさだめなんだよ・・」

勿論、こんな事を口には出しませんけどね、そう言う話題のたびに腹の中では思ってました。
ひねくれてました・・、今では反省する部分だと良く分かっていますayaayaaya


結局その後、
目医者に行ったのは白内障の目に異変が起き痛みを伴う水晶体完全脱臼と言う症状が出た23歳の時でした。
その眼医者に行ったら「コンタクトレンズセンター」になってて驚愕したのを覚えています・・。

「今痛いのに行くとこ無いやんどうしよう・・
ってなりましたからねしょぼん

その時は主治医となる先生が居なかった為だったのですがね。
院長が引退し息子さんに代替わりの途中で他所の病院で修行中でした。

今はその息子さんがちゃんとそれなりの眼科を続けておられるようで嬉しく思っています微笑み顔


最後に、
「検査はどうしても必要、とても心配だから出来る限りの検査をして貰いたい」
と、親はそう思ってるに決まっています。
子供がとても大事ですからね・・。

それは子供もいずれ分かると思うのですがこの記事を見てくれた親御さん達には、
子供が小さい頃に感じる「検査は怖いな・嫌だな」と思ったのでは?と言う事をどんな感じか知って貰いたいなと思い体験談と言う形で書いてみました。

あくまでひねくれた私の話ですので、皆様のお子さん達がこんな事を考えてはいないと思いますaya


 

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