軽症でもバセドウは辛いのだぁ

軽症でもバセドウは辛いのだぁ

何だか最近体も頭も動かない。

そんな日々を過ごしていたある日、近所の小さな診療所に行ったら即検査されて甲状腺専門病院に行きなさいと言われた。

結果バセドウだった。

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こんな更新頻度の少ないブログに読者登録してくださった方がおり、非常に嬉しく、早速記事アップします。

続きものなので、バセドウの内容でなくてすみません。゚(゚´ω`゚)゚。ピー


前回卵巣を腫らして膿腫部分を破裂させ、救急搬送されてから2年後のことでした。



2008年9月10日の朝、起きて、ホンマにいきなり…


子どもらの朝ごはんのお皿を置き、その上にパンを置いたあたりから

チリチリ

チリチリチリ・・・


あれ?

イテテテテテ・・・・

となったのもつかの間


子宮の中から得体の知れない激痛が走り、動けなくなりました。

しばらくしたら治るだろうと、我慢してみましたが、痛みは消えるどころか増す一方


リビングに横になりひたすら耐える私に旦那は冷ややか~な目でおおげさやなぁと言わんばかりに


「どないすんねん、救急車呼ぶか?」

と。


カチンときたが、どうにか痛みが治まってくれるだろうと「いや、いいわ。もう治まるやろ・・・。とりあえずほっといて・・・。りんの朝ごはんの面倒みて・・・。」


とだけ言った。


しかし、ギュインギュイン痛むお腹。


もうあかん。


泣きながら、

「優月、お母さんのブラジャーとTシャツ!お父さん、やっぱり救急車呼んで!!」

と叫び、よりによってその日は水曜日で、幼稚園の出張課外授業の日なんで、脂汗にまみれながら、講師やアシスタントにメールした。

「今から救急車のります。あとお願い。」


とだけ(笑)

精一杯やったのよ(*_*)

ホンマに(;^_^A

むしろ、ようメールできたなぁと思うくらい、痛みはすごかった。


あとから数年経った未だに

「あの時の先生のメール、ホンマびびりましたよ。誰が救急車に乗るのか、一体何が起こっているのか、全くわかりませんでした(笑)まさか先生本人だなんて・・・。」

と言われます(笑)


まず、3階から降りるに降りれない、痛すぎて。

でも、優月や麟太郎が半泣きになってるし、旦那に引きずり降ろしてもらい階下まで。

救急隊員の人に、このシート乗れる?とか聞かれて、即座に首を横にふる。

吐き気がひどく、吐き慣れてない私にはかなり苦痛の嘔吐。

でも、起きぬけなんで、出てくるもんなんか、全くない。

救急隊員の人に、「飲むもの下さい」と言い、旦那が水をくんできてくれた。

ひとしきり吐いたら、少しマシになった。

が、旦那や救急隊員の人が「大丈夫か?」とか「こっちまで来れるか?」とか問いかけてくれるんだけど、

私の口から出るのは、

ふぬ~~~~~~

とか

あががががががががが

とか

うううう

とか、とにかく喋れない。

シートに乗せられ、救急車に乗る時も、あまりの痛さに、横にもなれず、かといって、座るなんて全くできず、あまりの痛さに意識も遠ざかり、


私の頭の中には

「茎念転」

の文字が。

しかも、吐いたからか、胃まで激痛が走り、もしかして、胃潰瘍?とか考えながら、救急車に揺られた。

途中、救急隊員の人が、「住所は?」とか「電話番号は?」とか聞いてくるけど、喋れないくらい痛いどころか、痛すぎて過呼吸になって手足痺れてるくらいやのに、マジで


やめてくれっ!

無理!!

と思った。

病院に着いても、内診台に移動することすらできず、ストレッチャーのまま診察。


このまま検査という先生の腕をガシッと掴み、ものすごい力をふりしぼって


「痛み止め・・・・・ください・・・・」

とだけ言い、とりあえず鎮痛剤を入れてもらった。

MRIを撮るというので、じっとしてる自信がないと先生に訴えてみたが、鎮痛剤がもうすぐ効いてくるから大丈夫だと、レントゲン室へ運ばれる。


案の定、ストレッチャーをまた移動せなあかんし、足をできるだけ伸ばせと言う。

そんなこんなで、やや閉所恐怖症の私が、呼吸おかしいままMRIなんか入ったら、えらいことになるやんっ!と心で叫びながら、撮影開始。


すると、ようやく鎮痛剤が効いてきた。


激痛が走り、鎮痛剤が効くまでの間は1時間30分ほど。

ようやく地獄から解放された私は、自分の脂汗の量にびっくり(οдО;)

ストレッチャーもシーツもびしょびしょだった。


結果、いつもの卵巣チョコレート膿腫が育ち、6cmになって、排卵した時に癒着部分が引っ張られたみたい。

そして、腹腔鏡?かなんか分からんけど、小さい穴開けて、膿腫を取って、癒着を剥がす手術をすることになったのでした。

全身麻酔で。


帝王切開もしたことないのに、怖すぎますっ(>_<)


で、病室にうつる状態になった時にふと思い出した。

仕事!!!!


先生に一筆を書いて(何がおきても責任を追求しませんと)、一旦帰宅し、出張先の幼稚園や、ダンスの講師、アシスタント、英会話の外国人講師に電話をかけまくり事情を説明。

とりあえず1週間分の資料や教材を揃え、入院しに戻りました。


翌日の13:30に歩いて手術室に入り、手術台に乗り、もうドッキドキ(*_*)

興奮か緊張かしらんけど、呼吸は早くなるわ、脈拍早くなるわ(笑)

看護師さんが「緊張してます?大丈夫ですからね~。」と優しく手をぎゅっと握ってくれた(*^□^*)

ほっとした次の瞬間、麻酔入れますね~という言葉と共に、瞼が勝手に閉じていった…。


トントントンと肩を叩かれ、名前を呼ばれ、目を開けたら、手術が終わってた。

時間を聞いたら16:30。

あ…、旦那はもう仕事に行ったな…


これが手術後初めて考えたこと(笑)


手術室を出て、個室に移動。

しばらくしてすぐお姑さんが来てくれました。

ゆづもりんも、おじいちゃんとおじちゃんに連れてきてもらって、無事対面。


ぼんやりとした状態から、覚醒してくると共に、あちこちに管やら線やらでつながってるのが、たまらなくうっとうしい。


寝返り1つうつのにも必死。

痛み止めは、一回目は座薬、二回目は肩に筋肉注射。

結局2時間おきに起きて、寝苦しい夜を過ごした。


今朝、先生に導尿抜いて下さいと直談判したら、あっさりとOK!


なのに、看護師に言ったら、「わかりました~」って言ったっきり来ない。


ナースコールを探したら、ベッドを起こされてたので、手が届かない所に
( ̄□ ̄;)!!


なめてんのかって、かなり切れ味でナースコール取って(傷口ねじりながら)ナースコール押してもこない。


もう、切れるで!!

っていう手前でようやく「遅くなってすみませ~ん」と、今までやりとりしてた看護師とは別の人が来た。


うっ…


この人悪くないから文句も言われへんやん…


早く抜いてもらわれへんから怒ってたんじゃないのよね~。

「わかりました~」とか言いながら、ほったらかしやからムカついたのよ。


無理なら今は忙しいので、9時に来ますとか、あと20分待ってくださいとか言い方あるやん?


返事だけしてたらいいわ~みたいなんが、めちゃめちゃ腹立ったのです。


ま、そんなこんなで、痛いながらも散歩散歩で、ちっともゆっくりできない入院生活でした(笑)


おかしいなぁ、みんな、これを与えられた休みと思って、ゆっくり寝てねと言われたのに(笑)(笑)(笑)


今回の入院中、なんと旦那が掃除と洗濯までしてくれました!!


何がびっくりってこれが1番びっくり(*^□^*)


でも、嬉しかった~。


というわけで、腹腔鏡でしたので、傷口は2cmの切開と5mmの穴で済んだ私です。やっぱり不死身(笑)


摘出した卵巣を見たら、表はきれいな白色だったのに、裏は剥がしたからズタズタになってました。

6.8cmやったから腹腔鏡で済んだけど、7cm越えたら開腹やったらしい。


ギリギリセーフ。

私の人生いつもギリギリセーフ(笑)

ということで、内臓一個取れば旦那も変わるということが分かった事件でした。


次回、~メルカゾール卒業!~

オリンピックブログになる前に・・・(笑)


もう誰も見てないでしょうが、一応アップしました(^^;)



さて、1回目の卵巣チョコレート膿腫で緊急搬送された2年後に、またどでかいのがあったのですが、それは次回においといて・・・。



この頃には半年に1度になっていたバセドウの検診。



しかも、バセドウ氏眼症による突出した眼球のせいで吊り上った瞼の筋肉を切って落とす手術前だったので、この時の検診では主治医がかなり心配していた。


詳細はこちら



手術前日編



手術当日編



で、その時に主治医は言った。



「バセドウの原因はまだ医学会では確固たるものがないのはご説明しましたよね。




で、もちろんホルモンの種類も違うので、今回のtender‐dragonさんの卵巣の件とは何の関係もないと




されているのですが・・・





実際、バセドウの患者さんが子宮などの女性疾患を抱えているケースが多いです。」





え?∑ヾ( ̄0 ̄;ノ




やっぱりな・・・。



ただ、女性の大多数が何らかの女性特有の疾患を抱えているし、あくまでもバセドウの女性の患者さんの話の統計なので、認められてはいないそうです。




たしかに、もともと子宮内膜症は高校生の頃からの疾患で、上の娘を産んだ後に卵巣を腫らして入院した時は、破裂まではいかなかった。



全ては、下の息子を産んでから・・・。



あえよあれよという間に育ち、えらい目にあってしまった。




だいたい、授乳していなかったり妊娠出産経験がないと、乳がんや子宮がん、卵巣がんになりやすと聞くし、甲状腺でもがんは乳頭がんだ。



場所は違えど文字は同じということは、やはり何かの因果関係があるのではなかろうか。



だって、この間TVでやっていたけど、低身長の病気の(普通の成長ホルモンが少なくて低身長になっているのではない特殊な病気だったが)人たちの先祖を調べたら、がんを罹患した人がいないと言っていた。



まだまだ医学は未知の世界がたんまりある。



ならば、甲状腺の病気と女性疾患の関係が判明される日もそう遠くはないのかも?



この目の手術が終わってしばらくして、私のメルカゾール投薬は終了したのでした。




そして、初めて私をバセドウだと診断してくれたこの女医さんともこの検診でお別れ。


先生は、別の病院へ行ってしまったのでした。



後任のこれまた女医さんはめちゃめちゃかわいくて、優しくて、もう少し近ければ半年に1回と言わず2ヶ月に1回くらい通ったのにぃ~と思ったほど印象深い先生なのでした。




最近、個人的に医師と話したりする機会があるのですが、病院ではたいしたことないと言われている甲状腺の腫れ、救急医のその先生からしたら少し腫れてるそうです。





全く分かりません(^^;)



しかし、厄年とはよく言ったもので、本厄で父を亡くし、後厄で卵巣チョコレート膿腫を破裂させた。



そして、厄でも何でもないけどもう一発・・・。



2008年の9月に再び救急車に乗りました。




次回~卵巣チョコレート膿腫の爆弾~



※バセドウはこの頃から随分おちついてきて、半年に1回の検診が、血液検査などで必ず5000円以上はとんでいくのでお財布的にもスケジュール的にもきつくなってきたのでした。


2010年10月現在は、この春一旦再発してしまったものの、それはしごく微々たる異常で、普通なら絶対気づかない程度だったのでメルカゾールも1ヶ月飲んだっきり今は何ともなく過ごしています。


しんどいのは、たぶん過密スケジュールだからです(^^;)

序章って続くんかぃっ(;^ω^)



さて、兎眼矯正術を受ける前に話はさかのぼりますが・・・。


もともと高校生の頃から子宮内膜症だと言われてた私は、生理のたびに強烈な生理痛と戦ってきました。


鎮痛剤は、切れた時が恐いので切れる前に飲むので4時間おきの服用。


ひどい時はボルタレンの座薬を使用。


寝起きは痛みで目覚め、枕元にセットしてある鎮痛剤を無我夢中で飲み、効くまでうめきもがきたおすという日々が何年も続いておりました。


出産すると楽になる


誰かに言われて信じていたけれど


たしかに長女出産後(産後1ヶ月から生理がありました)4ヶ月くらいは鎮痛剤を飲まずに済んだけど



半年後くらいから元の木阿弥・・・・。



授乳してたけど、おっぱいを飲まれると子宮が収縮するので生理中の授乳は辛かった。



産婦人科の先生も、おっぱいから出る薬の影響は微量だし、市販の鎮痛剤なら飲んでいいと言われて、鎮痛剤をまた再開。



産後1年半後。



生理痛でとうとう動けなくなった私は、緊急入院。


卵巣が腫れているということで入院して炎症をとめるために治療した。



そしてその後長男を出産し、これまた産後4ヶ月から生理が再開。



フル母乳なのに(長男は6ヶ月で保育園に行ったため断乳したが)なぜこんなに早く生理になるの?と常に疑問だった。





そして問題のこの日は、バセドウの検診の日だった。



2006/2/27、19:30頃いきなりドーンと下腹部に亀裂が入ったような痛みに襲われた。


朝から甲状腺の病院に行っており、朝主人に駅まで送ってもらい、帰りが19時過ぎるなら迎えにくるよと言ってくれたので(珍しく19時で仕事が終わる予定だった)、電車に弱い私は電車に酔ったので途中下車して主人を待つことにした。


18:20くらいだったし、中途半端な待ち時間。



暇つぶしにパチンコ屋で500円で当たりを引き、「キャー♪今日の私はついてるわぁ~♪」なんて思いながら遊んでました。



で、楽しく遊んでたら・・・。

チリチリチリ・・・と痛みが


あれ?お腹痛いかも?

と思ったその瞬間


ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ


ぎゅーーーーーーーーーーーーー

強烈な痛みが走り、主人にすぐに迎えに来てもらおうと携帯を手に取ると



充電切れ




Σ(□ ̄; )Σ(    ;)Σ( ; ̄□)Σ( ̄□ ̄;) ガガガガビーン!!!



とりあえず換金して出口で待ってたら迎えに来てくれるだろうと出口まで必死に歩いて、もう立ってもいられずしゃがみこんで待った。



でも、来る気配なし。



そらそうやよな。



当たってるっていうメールを最後に充電切れてるから迎えに来てと連絡するまで来てくれるはずがない。



でも歩けない。


でも来ない。



(当時)32歳にもなって泣きながらよたよた歩き、かなり怪しい顔つきと体勢で、痛みにより視界がかすみながらも駅まで行き、公衆電話で主人に電話。




このご時世、携帯の普及でホンマに公衆電話がない。



「もしもし。迎えに来て~!!(泣)」


「何してんねん!?(怒)」と主人。



とりあえずロータリーまで上がり、普通はタクシーを待つ人のためにあるベンチに座り、痛みで体が震え、涙はボロボロ。



タクシーの運転手さん達が慌てて飛んできて


「大丈夫か?救急車呼ぼか??」と。


「主人が来ます。ありがとうございます。」


と言い、二つ折れになって泣きながら信号を見続けた。



で、ようやく来てくれた車に必死に乗り込み、ボロカスに怒られながらも弁解する元気もなく携帯を充電しながらかかりつけの病院の婦長さんであり知人のKさんに電話。



前日に受診していた結果が出てて、Kさんは私の症状と検査結果が一致しない(つまり検査結果はそんなに緊急を要する症状が出るはずがない)ので首をかしげるばかり。


でも、私も必死で泣いてるし、とりあえず救急車を呼びなさいと言われたので自宅に着き救急車を呼んでもらった。



そして救急車の中で、あらゆる病院に断られ続け(初診の婦人科救急はほとんど受入がない)20分くらいかかりようやく見つかった搬送先が杭全神社の近く。



救急車の振動に何度も激痛が走り、まだ着かへんの?と首を上げて前を見ようとしたら隊員さんに「まだあと20分くらいかかりますよ。今まだ志紀です。」と(笑)



救急車の中での自分の血圧にびっくり。


135-98


私の通常


せいぜい90-75くらい


ひどい時は

75-35ってあったな。医者もびっくりの低血圧。



頭をよぎるのは卵巣茎捻転。


し、死ぬぅぅぅう。


ようやく着いてまっさきに導尿したら

950ccもありこれまたびっくり(笑)



医者に「一升瓶一本分くらいあるで」と(^-^;


結果、卵巣が6cm強腫れてるので即入院。


部屋に行き一瞬痛みが止まった。

そこにあったのは

まさしく


保健室のベッド!!

点滴は24時間のはずが輸液ポンプじゃない!!!

体温計は水銀!!!!

テレビなし!!!!!!

ライトでかっ!!!!!!!!



ちなみにこの病院、最近新築されたらしくホテル並みに綺麗で、エレベーターも広いしすごいのに。

ここか。


ここをケチったんかぁぁぁ。

と(笑)


でも、そんなことで痛みが綺麗に取れるわけもなく、柵もないベッドに着の身着のままスカートのままで寝転び、落ちやしないかとハラハラしながらようやく痛みが落ち着いたのが夜中の3時。


冷静になり、私がここに入院するわけにはいかん、ってか入院してたら気が狂う。


ということで、朝の検温の時から看護婦さんに直訴し、自己退院扱いで退院し、地元の柏原病院に行ってきました。


昨日、今日と検査三昧でようやく診断された名前が

子宮内膜症によるチョコレート膿腫破裂

でした。


MRIにはしっかりと5cmの膿腫を発見。


入院は遠慮してきましたが、やっぱりこれは癌化しやすいし、何より爆弾抱えて生きていくのは危険すぎる(また

いつ同じような破裂が起こるか分からない)ので、柏原病院の先生も、KクリニックのK婦長さん(心配して電話を何度も下さった。しかも先生に話をしてくれたりまで・・・。)もどちらも答えは「手術」だった。




追記:救急車で運ばれた先の院長先生はすごかった。ピカデリー梅田そっくりのおじいちゃんで、喋り方もかなりえらそう。

先生「流産は?」

私「一回、検査薬に反応が出て次の日に出血し病院に行ったら『流産したんかなぁ?』と言われたことが・・・」

先生「そんなんいらん。」

( ̄ェ ̄;) エッ?

先生「異常分娩は?」

私「・・・上の子の時に吸引分娩・・・」

先生「そんなん異常ちゃう」

私「・・・・・・・・」

先生「下の子の時は?」

私「・・・・・たいしたことは・・・。胎盤用手剥離したくらいです。」

先生「それはたいしたことある!」

( ̄◇ ̄;)エッ

き、基準が分からん(ー'`ー;)ムムッ

ピカデリーを知らない人はYoutubeでガキの使いでピカデリーを探してぜひ観てください。

私は知らんかって、主人にあとで言われて観たら、そっくりで笑い転げました。

顔も喋り方もそっくりな先生でした。



このあと、チョコレート膿腫には人生最大の痛みを投げつけられるのだが、それはまた数年後の話・・・。



次回~バセドウとチョコレート膿腫の因果関係~