
[ 運命は決められたもの? 自分で切り開くもの? ]
僕は運命という言葉が苦手です。
きっと運命=神様が決めたシナリオのようなイメージを持っているからかもしれません。
こうなったのも神様の決めたこと
ああなったのも決められていたこと
なんかさ、悔しいじゃないですか。
今の大学に入ったのはこうなる運命だったから
あの人に出会えたのはこうなる運命だったから
違うよ。僕が歩いてきた道なんだもの。自分が転がった道なんだもの。
こうして単位が足りないよ~って嘆いているのも自分のせい。
今月金欠だよ~って涙を流しているのも自分のせい。
就活が思うように決まらないのも自分のせい。
運命のせいにするには僕にはただの言い訳にしかならないことが多すぎるもの。
僕はただ、目の前の光に進んでいるだけ。蛇行しながらでも、よそ見をしても、ただ自分の目指すものを信じて歩いているだけ。
さて、偶然にもつい最近こんな本を読み終えました。
『四畳半神話大系』
- 四畳半神話大系 (角川文庫 も 19-1)/森見 登美彦
- ¥700
- Amazon.co.jp
これは以前読んだ 『夜は短し歩けよ乙女
』 の著者、森見登美彦さんの作品です。
すっかりあの癖のある文体に飲み込まれてしまい、普段なら400ページもある文庫本は手にしない僕ですが思わず買ってしまいました。
あらすじ
私は四畳半のボロアパートに住む冴えない大学3回生。小津という悪友に振り回されたり、訳のわからないサークルに困惑したりと薔薇色のキャンパスライフとは程遠い生活をしていた。
私は入学当初4つのサークルに目を奪われた。映画サークル「みそぎ」、「弟子求ム」という奇想天外なビラ、ソフトボールサークル「ほんわか」、そして秘密機関「福猫飯店」。もし、あのサークルに入っていたらどうなっていたのだろう。今の私とは全く違う運命をたどっていたのだろうな…
ちょっぴりほろ苦い青春ストーリー。
ということで、この本の形式は、私が入ったサークルによってどのような運命をたどったのかをおよそ100ページごとに分かれた4つの平行世界として書かれています。
第一章では「みそぎ」に入った私。第2章では「弟子求ム」。第3では…という感じです。
小津や樋口師匠との関わり方がその世界によって変わってくるのですが…
これは結論を言っておいたほうがいい作品かと思うので言わせてもらうと、結果どのサークルに入っても同じ結末がまっています。
つまり、どの道を選んでも私は同じように怠け、呆け、だらしない学生生活を送ってしまうのです。
ただ、サークルとのかかわりや、他のサークルとの接点、各章に出てくるキーワードがラストの章で完全に一致するあたりがさすがです。
もしかすると、1章、2章までは読んでもあと2つが読めない、飽きたという人がいるかもしれません。でも僕は楽しめましたよ。後半の章では様々な複線が平行世界であるがゆえにつながるし、各サークルのヘンテコぶりも面白い。
そして今回も黒髪の乙女が出てきます。夜は短しの黒髪の乙女とはまた違うタイプっぽいです。この女性とどのように関わっていくのかもみどころのひとつです。
もし良かったら読んでみてください。ただ、今回も森見流の文体のため苦手な人はとことん苦手かと思いますが。
この本にはこんなことが書いてあります
しかし私は気がついた。ほんの些細な決断の違いで私の運命は変わる。日々私は無数の決断を繰り返すのだから、無数の異なる運命が生まれる。無数の私が生まれる。無数の四畳半が生まれる。したがってこの四畳半世界には、原理的に果てないのだと。 (第四章:八十日間四畳半一周より)
結局運命なんてのは言葉だけ。自分が歩いた先が運命と呼ぶものに変わるだけ。それだけのこと。
僕はたまに思うことがあります。
もし、あの時第一志望の高校に受かっていたら
もし、大学1年のときに怠けていなければ
もし、、、、、
でもそれは仮定であり、過程ではありません。
今の僕はこうして生きてきたからこうなっただけのこと。
僕は運命なんて信じません。
僕が選んで生きてきた道なんだもの。
神様のせいにするほど立派な道ではないもの。
ふぅ…
実は今、迷っていることがございます。
それは森見さんの作品に手をつけるかどうか。
うむむ…でも同じ人ばかり読んでいると飽きてしまいそうだしなぁ。
うむむ…