~八丈島 名所・旧跡ご紹介~ 「丹娜婆の墓」 | 八丈島観光協会blog

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丹娜婆の墓丹娜婆の墓説明

丹娜婆というのは、丹娜というおばあさんという意味で、昔、八丈島を大津波が襲い、全島の家も人も流されたが、一人丹娜だけが艫(ろ)につかまっていて大賀郷河口あたりに流れつき助かった。それで、艫抱女子(うかこみにょこ)とも言った。たまたま、丹娜は妊娠しており、男の子を産み、その子が成人したのち夫婦となり、子孫が増え、現在の八丈島の人達のもととなったというのである。
丹娜婆の墓は、島内で三根・大賀郷・末吉の三ケ所にあったというが、三根のものはわからなくなっており、大賀郷は釈迦堂境内にある。
町指定文化財である。

丹娜婆の墓(末吉)

〒100-1622  東京都八丈島八丈町末吉
バス停[神子尾下]より徒歩10分
末吉小学校の裏手の山の所にある。





抱艫長女(ろかこみにょこ)石場
 
釈迦堂(しゃかどう)の境内に、丹梛婆の墓と言い伝えられてきた玉石があったが、それだけでは分からないというので建てられたのが、この由来碑である。
丹郷婆の墓と言われるのは、末吉と大賀郷と三根にあったとされているのであるが、現在分かっているのは、末吉と大賀郷のニケ所である。丹娜が津波の時に打ち上げられたのは河口(こうくち)の洞と言われているので、大賀郷の方が本家筋に当たるかもしれない。

丹娜婆の墓(大賀郷)

〒100-1401  東京都八丈島八丈町大賀郷
バス停[歴史資料館前]より徒歩5分
釈迦堂は、歴史民俗資料館の元正面階段(今は石垣になっている)前の細道を反対側に上って行くと右手にある。墓と由来碑がその境内にある。