【縄張りコラム】江戸城のこと | 人生竪堀

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TEAMナワバリングの不活発日誌

 少し前の事だけれど、江戸城西ノ丸の一般参観に行く機会があった。桔梗門から入って富士見櫓の真下を通り、西ノ丸の宮殿の前から二重橋まで行って折り返 してくるコース。江戸城へは何度も行っているが、西ノ丸の方へ行くのは初めてだったので、なかなか新鮮な体験だった。あらためて江戸城の占地がよくわかっ たし、なぜああいう縄張りになったのかも、理屈ではなく体感的に理解できた。
 間近で見る富士見櫓や伏見櫓にも、いろいろと感ずるところがあったし、石垣の技術的特徴は、いくら眺めていても飽きない。まあ、立ち止まってずっと眺めていると、係の人に注意されてしまうけどね(笑)。圧巻はやはり本丸の裏手(西側)、蓮池堀に面した高石垣かなあ。
 
 今回は、東御苑として開放されている三ノ丸・二ノ丸・本丸も、ついでにぶらっと歩いたので、余計に考えることが多かった。まず、あらためて実感したの は、やっぱり江戸城は日本で最大最強の城、ということ。城域の広大さ、堀と石垣の圧倒的ボリューム、占地の強引さと、それを補って余りある縄張りの巧み さ、そして現存櫓の美しさなど、どれを取っても超一級。
 でも、江戸城って、一般の人には天下無敵の堅城としてイメージされていないように思う。理由の一つは、水堀越しに巽櫓(桜田二重櫓)から富士見櫓を望ん だアングルが、あまりにも有名なことかも。このアングルは、絵葉書用の写真としては最高の構図なのだけれど、難攻不落感が薄い。江戸城って、歴史的には日 本の中心だとしても、城的には名古屋城や熊本城より下じゃん? と思えてしまうのだろうな。

 

 以前に、江戸城天守再建プロジェクトの関係者の方と、ちょっとだけお話しする機会があって、僕が「江戸城って、縄張りとか石垣とかスゴイですよね、よく 残っているし」と言ったら「えっ? そうなんですか?」と、真剣にビックリされてしまった。どうやら彼らは城=天守閣だと思っていて、江戸城には大した物 は残っていない、城としての魅力がない、と思いこんでいるようなのだ。
 つまり、日本最大最強の城が立派に残っているのに、そのことを知らない、江戸城のことを何も理解していない人たちが、江戸城を「再建」したがっているわ けだ。まあ、彼らが再建したがっているのは江戸城ではなく天守なのだけれど、今ある天守台は、明暦の大火で江戸城が焼けてしまった後で築かれたもので、あ の上に天守が建ったことはない。
 だから、今の天守台の上に何を建てても、それは歴史的復元にはならない。もちろん、天守を建てる計画はあったので、絵図は残っている。でも、それはあく まで設計案であって、仮に建てられたとしても絵図通りに完成したかどうかは不明。要するに、どう建てても歴史的には捏造にしかならないということだ。

 

 明暦の大火で焼失する以前の寛永天守なら、屏風絵で外観がわかるから、それを参考にすればという人もいるが、寛永天守台と現存天守台ではサイズも石の色 も違う。寛永期までの石垣は主に伊豆石が積まれていたから、全体に黒っぽいが、現存天守台は瀬戸内産の花崗岩を使っているから白い。今の天守台の上に寛永 デザインの天守を建てたら、カラーバランスが悪くて超ダサイと思うけどなあ。
 もし、江戸時代の人たちが現存天守台の上に実際に天守を建てたとしたら、江戸時代人の感覚でカラーバランスやデザインを調整したはずだが、現代のわれわ れはそれと同じ感覚を持ち合わせていない。だから、何を建ててもカッコ悪いニセ物にしかならない、と思う。それに、明暦の大火の後で天守が再建されず、天 守のない城として太平の世に君臨していたっていうのも、江戸城の大切な歴史なんじゃなかろうか。それでも天守が必要というのなら、保科正之の立場はどうな るの?
 えっ? 観光マインド無さすぎですかね? まあ、僕は学芸員じゃないから、観光マインドを持ち合わせていなくても、一掃される心配はないけれど。どうし ても建てたいのなら、現存天守台をぶっ壊して、天守台ごと寛永天守を捏造しちゃうしかないでしょうな。自分たちのすばらしさをアピールするためには、文化 財なんか残してもジャマだからぶっ壊して…って、あれ? 中東の方でそんな事をやっている人たちがいたような…。

 

西股総生

 

↑江戸城。