当たり前がいちばん難しい | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

当たり前がいちばん難しい


【荒屋町公民館にて】

今日は、新湊の曳山取材。

最後となる13町目は、uchikawa六角堂のある荒屋町。

公民館で曳山関係者数名にお話を…
と思っていたら、なにやらにぎやかに作業中です。


【荒屋町公民館にて】くつ

靴も、こんなにたくさん!


【荒屋町公民館にて】とりつけ

昼の花山のお花を新調されるということで、
みなさんで花を開く作業中。


【荒屋町公民館にて】女性部大活躍

わいわいと話をしながら、手際よく。

花開き作業を横目にみながら、
部屋のすみっこで、
荒屋の曳山のお世話役のお三方に話を伺う。

いちおう録音していたけど、
たぶんお母さまがたの話をひろっていそうだな…というくらい、
にぎやかだった。

全部の町のみなさんにお話をうかがってきて、
最後にこういう場面に出会えたことが、
出来すぎなようでもあるけれど、これが当たり前。

このお祭りの裾野の広さとポテンシャルの高さを、
改めて感じました。

曳山を曳くのは男たちだけど、
こういう準備は、女たちの力あってこそ。


【荒屋町公民館にて】黒板

お祭りは365日分の1日だけど、
あとの364日も、なにがしかお祭りにつながっている日常。
毎日の生活が、神々への祈りにつながってる、ほんと。

今日、心に残ったのは、
「当たり前がいちばん大変」という言葉。

毎年、曳山を出して当たり前。
曲がり角をちゃんと曲がれて当たり前。
事故をしないで山蔵に戻ってくるのが当たり前。

失敗すれば責められるけど、
成功して当たり前という意識が基本にある。


…放生津の人々の「当たり前」レベルは高い。

昔、「当たり前」というのは
目の前のことに感謝していない姿だなんて書いてたけど、


不断の努力によって得られる
「当たり前」の奥深さを感じた。

言葉としては、
「当たり前」の反対語は「在り難い」だけど、

「当たり前」を、
毎日のように大勢の人たちで支え続ける力を、
「在り難い」で」片づけてしまうのは安直な気がする。

…なんだろう、なんていえばいいんだろう…。

…もう少し、考えてみますわ。