当たり前とは感謝のない状態だ。
【結露】
改めまして、あけましておめでとうございます。
今日は、事務所に行くはずだったのに、
すっかりおうちでゆっくりしております。
寝正月、バンザイ。
写真は、大みそかの大掃除のときに、ふと窓をみたときのもの。
日が射して明るい中で、雪がパラパラとふっているという珍しいお天気で、面白いな~…と思って窓の外を撮っていたんだけど、動く雪を撮るのはすごく難しいので、結局、窓を撮った…と(笑)。
結露と2重サッシ。
富山じゃあたりまえだし、冬はどこだって結露するけど、こういう小さな現象に最近目を向けていなかったな~…と思ったんです。
…「結露」から何を思いめぐらそうか。
結露を喜んでいる人っているのかな。
結露、結露…。
露が結ぶと書くと、とても美しい。
でも、実際の「結露」って、そうならないように対策したり防止したりするものだ。
ガラス窓の水滴を見るのは、昔から好きだけど、サッシの結露に対しては、何も感じてこなかった私。
東京の賃貸住宅の結露は、カーテンがぬれちゃうくらいひどかったから、いろいろ対策してたなぁ。
今は2重サッシだから、結露のことをほとんど考えることがなかったということに、はたと気付いた大みそかでした。
「当たり前」というのは、ほんとに恵まれてるのに、そのありがたみがわからない状態のことなんだな~と改めて感じました。
「当たり前」を「ありがたい」と思えるような1年にしていきたいと思います。
…どんな小さなことでも、ありがとうと言える人になれますように。