こわいけどおもしろい | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

こわいけどおもしろい


【内川にて】

おはようございます。
1日さかのぼっております。

7月12日は、朝から撮影。
お昼をお家でつくって食べてから、
午後は事務所で作業。

写真は、先週の陣内先生との内川さんぽで出会った鳥。
えさをもらってる鳥が猛禽類。

堂鳩の群れは、都会の公園につきものだけど、
内川ではそれが猛禽類に変わる。

えさを食べるのをじーっと見ていたら、

!!!

こっちに向かって飛んできた!

こわいけど、おもしろい。
おもしろいけど、こわい。


【内川にて】

…最近、つくづく感じるのは、
若い頃の私は、ずいぶん大人たちを
よきように誤解してたなということ。

今までは、
「若いのにがんばっている」とか
「なんかおもしろいこという」とか、
大人たちから好意的な温かい評価をいただくことによって、
なんとかぬくぬくと育ってきた。

どこかで、誰かのせいにできる逃げ道があったけど、
年を重ねるたび、経験を重ねるたび逃げ道はなくなる。
むしろ若い人たちを守り育てる側になりつつあることに気づく。

…そして分かったことがある。

「若いのにがんばってるね」は、
はっきり言って、無関心な人のいうセリフだ。
ほめるところがない人の
口紅の色やスカーフの色をほめるのに似ている。

今考えれば、がんばる、がんばれるというのは、
特筆すべきことではないものね。

「なんかおもしろいこという」は、
「ほんとはお前のいうこと、理解できないけどね」と、
言われてるのに近い。

「おもしろいこと」を言えることが、
個性的でクールだと思っていたあの頃は、
大人たちにそう言われることに、
すこし誇らしささえ感じてたけど、
ただ、バカにされてただけだったのかもしれない。

思春期の女の子どうしが、
自分とも昨日の彼女とも大してかわらないのに、
毎回かわいさをほめ合うみたいな、
囲われた世界の中で名人芸を極めていくタイプのコミュニケーションが
すごい苦手だった私は、
うっすら関わった大人の発する無関心な言葉を、
非常に好意的に受け止めることで自分の糧にしてきた、
おめでたい若者だったんだな、と思う。


うっかり、
「若さ」や「自分にない感覚」を
ほめて終わりにしないようにしたい。

…そんなことを思いながら
目の前の若い人たちを、
どう育てていこうかと、毎日頭を悩ませている。

なやましいが、おもしろい。
おもしろいが、なやましい。