ストーリーとストーリー性 | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

ストーリーとストーリー性


【内川周辺】荒屋町周辺

さかのぼり中。

写真はとくに関係ないです。
大好きな内川の近く、おかげさまでオープンから1年が過ぎた六角堂のある荒屋町内の風景です。

●何気ない言葉から考えてみる。

さて、数日少ない2月が終わってしまうということで、
ほんとに、もくもく、もくもく、もくもく作業。

…でも、スタッフが増えると、
いろんな質問が飛んでくる。

「そんなこと、自分で考えて!」って
いいたくなるときもあるけど(笑)、

それをなぜ聞いたのか、
私はどう答えるべきで、
それを知りつつどう答えたいのかを考えるのは、
すべて、私の訓練であり身になることだと思うのです。

今日ひっかかったのは、
スタッフの雑談の中で出てきた
「ストーリー性」という言葉でした。

私は、「ストーリー性」というのは、
“中身”ではなく“見せ方の方法”だと思っていました。

つまり、
「“ストーリー性”が大事です」という話と、
「“起承転結”わかりやすく話しましょう」という話は、
私にとって、ほぼ同じなのです。


由来だとか、エピソードだとか、
その周辺の人々の想いとか、
それは、「ストーリー性」ではなく、
「ストーリー」です。

誰かに何かを伝えるときに、
「ストーリー」なしで伝えることなんて、
基本的にはできないだろうと思っていますから、

伝える側の最低限のマナーとして、
その奥にある何らかの「ストーリー」は、
掘り起こすべきであるし、
敬意を表すべきものであると思っています。


「この“ストーリー”を伝えたい!」という話と、
「こういう“ストーリー性”を持たせたい!」という話は、
同じようであって、天と地ほどの開きがあるんですね。

もったいつけて「ストーリー性が大事」って言ってる人の多くは、
具体的なコンテンツを持っていないんじゃないかと、
うすうす思っていたのですが、
彼女の何気ない発言で、改めてそれを確認することができました。

そして、「ストーリー」を語ることも、
実はエゴイスティックな話だと感じました。


柳宗悦さんは「今見ヨ イツ見ルモ」と言われましたが、
“知っている”ということが、
大切なものを、もっとも見えなくしてしまいます。

目の前のものを、知った気になる前に、
もう一度ちゃんと見てみる、調べてみる。
…そこから自分が得た感動こそが、
人の心を動かす「ストーリー」につながると
信じています。

…長くなりました。


Mちゃん、話のダシに使ってごめんなさい。
頭の整理ができました、ありがとう。

常に、「うぶ」で、あろう。