アケビを見て考える、共感と感動のこと。
【あけび】にやりと企んだような笑み
こんにちは。
写真は、あけびです。
昨日、立山町の越中瀬戸焼の陶芸家・釋永陽さんからいただいたもの。
あけびは、「木通」とも「山女」とも書きます。
富山県には、「山女」という地名も存在します。
そして、今が時期みたい。
…にやりと、何か企んでいるような笑みに、
ちょっとゾクッとする。
無防備にひらいた口に、素朴さと愛しさも感じる。
…見れば見るほど、不思議な実だなぁ。
複雑な感情を湧出してくれる自然の恵みの偉大さを、
いろんな言葉を並べて説明しようとするのが人間だけど、
不思議は不思議のままに、
わからないことはわからないままに、
そのままにしておくことも大事なんだな、と思った。
●見える化もいいけど、見えないものを大事にしなくちゃね。
私のライフワークは、見えない思いをカタチにすること。
あるものやあること、あるひとの、
素晴らしさを、もっと多くの人に伝える工夫をするのが、
私のお仕事だと思っている。
そのためには、そのもの、こと、ひとに、
全身全霊で、向き合わなければならない。
そして、ちょっと前までは、その向き合い方や変化のプロセスを、
いろんな人たちといちいち共有していくことが大切だと思っていた。
…でも、はたと思った。
その行きつく先には、
大きな共感はあるけれど、大きな感動はないのかもしれない、と。
共感は、ちょっと〝趣味の仲間づくり〟に似ている。
やりたくてやってることを、続けていけば、得られるもの。
誤解を恐れずに言えば、〝大いなる内輪受け〟だ。
結局は、相対的なもの。
感動は、〝ショック〟だと思う。
自分の想像を超える体験によって、得られるもの。
人を動かすのは、感動の方なのだ。
こちらは、絶対的なもの。
…いろんなことを見える化して、
いろんな人とそれらを共有することは、
すばらしいことだと思う。
今は、ソーシャルメディアによって、
息をするかのようにそれができますよね。
分かりやすく、伝えやすいことばかりが、
どんどん氾濫していくから、
共感にも精度が必要になってくる。
でも、だからこそ、
見えない部分、見せない部分に、
もっともっと敬意を払うべきだなーと、
日頃の反省を踏まえて、思ったのでした。
にやりと笑うアケビを見ながら。
…さあ、お仕事に戻ろう。