本当に見晴しがよいかどうか | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

本当に見晴しがよいかどうか

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【土山の六角堂】

こんにちは。
今日のとやまはくもり。
写真は、この間の日曜日にお邪魔した土山の、見晴しが最高な場所にある六角堂。

とっても素晴らしい見晴し。
目の前に広がる山々は、
富山の歴史を語るうえでとっても大切な出来事が起こった場所。
いわば聖地だ。

●見えないことになっている恐ろしさ

向かいの山ではこういうことがあって、
あちらの山にはこういう歴史があって…。

…そんな説明をしていただきながら、
私が一番気になってしまったのは、
その山々に確実な間隔で立つ鉄塔だった。

眼前に広がる景色から、目に見えない歴史をたどっているときに、
一番マッチしないものが、しっかりとそこにあるという痛々しい現実。

〝ひそやかな聖地に支柱を立ててまで、
 もの言わぬ蜘蛛が着々と空に灰色の巣を広げている〟

…そんな風に思った。

恩恵を享受しているんだから、
そして自分にはどうすることもできないことだから、
それは、そのようにあるしかないのだろうな…と思う。

でも、それを「見ないことにする」うちに、
だんだんと意識しなくなって、
いつのまにか本当に「見えない」ものになっていくんだろうな…。

知らないわけじゃないのに、
知らないことになっていること。

何か言いたいのに、
何も言わないことにしてやり過ごしてしまっていること。

…そういう無関心で無言な時間が、
この国をカタチづくっている気がしてしかたない。

●じゃあ何ができるんだろう、私に。

お恥ずかしながら自分のことで本当に精いっぱいだから、
急に何か立派なことができるわけではないのだけど、

先人たちが残し、私たちがつないでいくものの大きさは、
もっともっと謙虚に、真摯に、受け止めるべきことなのだと思う。

ほんとにそれでいいの?って一回考えて、
自分の非力さを思って、ちゃんと絶望して、
これからの私たちのことを思って、
ちゃんと傷つこうと思った。

…その前にあったものと、
その先にあるもの…を、もっと想像しようと思った。


富山は、そして日本の地方は、
たくさんの宝物がごろごろしているけど、
放っておくと台無しになっちゃうものがある。

それを胸に刻んで、午後からまたがんばります。