阪神大震災
今日の朝、6時前に目が覚めた。
ラジオをつけるとちょうど15年前の阪神大震災が起きた時間であり、
「黙祷をささげます。」
との言葉が流れていた。
その当時わしは岡山県の笠岡市に住んでいた。
まだ目が見えていて笠岡の店舗に勤務していた。
長男は5歳、長女は1際で家族4人一つの部屋に川の字で寝ていた。
ガクンときた縦の揺れに吃驚して瞬間的に二人の子供の上に覆いかぶさっていた。
揺れもおさまり店の近くに住んでいたので7時過ぎに出勤した。
売場の棚に並べている商品がのきなみ床に落ち、洗剤や醤油などの掃除に清掃のおばちゃんがおおわらわであった。
食堂に行きテレビをつけるとまだ何が起きているのかわからず明るくなるにつれて判明する被害の大きさにアナウンサーがあわてていた。
その時の高速道路が落ちビルが崩壊している様子を今でもよく覚えている。
あれから15年。
随分と月日が経ったがいまだにその時の被害者が苦悩の日々をすごしているのだと思う。
今一度生きるという命の重さについて考えなければいけないと思うのでした。
ラジオをつけるとちょうど15年前の阪神大震災が起きた時間であり、
「黙祷をささげます。」
との言葉が流れていた。
その当時わしは岡山県の笠岡市に住んでいた。
まだ目が見えていて笠岡の店舗に勤務していた。
長男は5歳、長女は1際で家族4人一つの部屋に川の字で寝ていた。
ガクンときた縦の揺れに吃驚して瞬間的に二人の子供の上に覆いかぶさっていた。
揺れもおさまり店の近くに住んでいたので7時過ぎに出勤した。
売場の棚に並べている商品がのきなみ床に落ち、洗剤や醤油などの掃除に清掃のおばちゃんがおおわらわであった。
食堂に行きテレビをつけるとまだ何が起きているのかわからず明るくなるにつれて判明する被害の大きさにアナウンサーがあわてていた。
その時の高速道路が落ちビルが崩壊している様子を今でもよく覚えている。
あれから15年。
随分と月日が経ったがいまだにその時の被害者が苦悩の日々をすごしているのだと思う。
今一度生きるという命の重さについて考えなければいけないと思うのでした。