寂しさと言う幻想 | フリーランス宣伝使への道

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今日はクリスマスイブですね。


家族と過ごす人、恋人と過ごす人、友達と過ごす人、
一人で過ごす人、仕事と過ごす人、

それぞれだと思いますが、 
一人で過ごす人の中には
何か寂しさを感じている人もいるのではないでしょうか。


しかし、何故寂しいと感じるのでしょうか?


街は華やかで、人々は楽しそうで、恋人たちの幸せ
そうな顔を見ていると自分は一人取り残された
ような気分になる。


それでなんとなく寂しい気分になる。

けど、


それって結局他人や別のものと自分とを比較して
いるからそう思うのであって比較がなければ
そんな事を思いつく事さえないのです。


寂しいと感じている時は意識が狭くなっていて
その狭い世界から外の世界を眺めて、

自分は不足している、足りないと思うから
イコール
寂しいと思う。


しかし、それは今ある自分の環境が当たり前だと
いう前提の上での意識であって、


今の自分の環境が実は当たり前なのではなく、
色々なものを与えられている、

というか、
真理の点からいうと、全てを与えられている事に
気づくとそこには感謝の思いしか出てこない
はずなのです。


だから、寂しさを感じる人は、どんな状況であれ、
自分が持っている物、与えられている物を考えて
みるといいと思います。


それこそ、そこらじゅうにたくさんあるのですが、
それが当たり前になっていくと、

いつの間にか不足の心が芽生えてきて、
そうするとそれを補うために色々なものが必要だと
思いはじめ、


それがないと自分は満たされていないと
いう〝錯覚″に囚われて、


そこからそれらを得る為の、建設的ではない
消極的な行動が生まれてくるのです。


こうなってくると悪循環のループに入ってしまうの
ですが、

この悪循環から抜け出すのが


感謝の心


なのです。


今自分が持っている物に感謝する、

与えられている環境に感謝する、


それは、さっきの狭い視野から自分を見ているのとは
違って広い視野、意識から自分をみているので、
寂しさと言う幻想も消えます。


そこに自分が今存在している、
その為に無数の存在の与える行為が関わっている、

それに気づくとありがたくて、申し訳なくて、
何かお返しをしたいと思うようになります。


それで、何がお返しになるかと考えると、


自分も


〝与える存在になる″


という事に行き着き、


そこから建設的で積極的な行動が生まれてきて、


こうなってくると好循環のスパイラルに入って
いきます。


もちろん常にその状態を続けているのも、
難しく、つい自我に囚われて狭い意識に
戻ってしまう事がありますが、


それを何度も繰り返しているうちに、
自我を放棄して与える事ばかりを
考える気楽さを知り、


そして自我を拡大させて得る事
ばかりを考える事の苦しさ、
はかなさを知って


自然と与える事に徹するようになります。



結局、人間はその愛情力をどれだけ発現できるか
を試す為に生まれてきたわけであって、


愛情力を発現する事に徹する事が出来れば、
自分の環境がどうだとかは全く関係なくなって、


環境に左右され、環境を嘆いて愛情力の発現
を妨げる事がいかにバカバカしいか気づくのです。



覚者やマスターと言われる人達は、
例外なく、愛情力の発現に徹して、自我を消滅
させた人達で、


その最たる人がブッダであり、キリストであって


そうやって、愛情力の発現に徹して、自我を消滅
させたからこそ、その意識は大我に溶け込んで、

全人類の意識にキリスト意識として刻み込まれ
ているわけです。



なので、いつも寂しさや満たされない心を感じている
人は少しでもこのキリスト意識に目を向けて
それを発現させていくようにすれば、そういった
心は自然と消滅して、揺るぎない安心の境地
へと近づいていくと思います。


クリスマスイブと言う事でキリスト意識に刺激
を受けてか、長々とエラそうな事を書いてしまいましたが(笑)
寂しさを感じている人の心が少しでも楽になっても
らえたらうれしいです(^-^)


それではみなさん良きクリスマスイブを



生かして頂いて ありがとう御座います


惟神霊幸倍坐世




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