防災の日 | 詩子の'斬'と愉快な毎日

誰が決めたのか、9月1日は、防災の日。

防災の日の報道を見ていて思う事。

災害発生は、まさかのタイミング。

昨年の震災で、そのことを嫌というほど痛感させられた私たち。

一年が過ぎて、

色々な意味で多くの人が

「用心」「備え」を考えるようになりました。

でも、最も大切な用心は、自分自身。

皆さん、いざという時に、「全速」で走れますか?

一人なら、きっと大丈夫。

でも、二人なら?

小さな子供が傍にいたら?

高齢の方が立ちすくんでいたら?

障害を持った方が目の前にいたら?

アナタは、他人を見捨てられますか?

3.11で被災された方の様々なお話しの中で

日本人らしいと、強く心に残った事。

津波から逃げる為に

車を使った人が多くいて、そこで渋滞が起きた。

車が前に進まなければ、車を捨てて逃げればよいのに

それが出来ず、多くの人が津波に呑みこまれたという。

車を捨てて逃げるという判断が、出来なかったわけではなく、

自分が車を捨てたら、後続の車はどうなるか?と考える人が多くいた。

これが日本人。

何があっても、自分だけ助かる、という事が

できない日本人だから、

いざという時に、自分はもちろん、

他人を担いで逃げる体力が必要なのです。

火事場の馬鹿力を出すための最低限度の体力、脚力が必要なのです。

小さい子供を持つ親御さんと高齢者の皆様へ。

批判を承知で言いますが、、、

甘えてはいけません。

具合が悪かろうが、しんどかろうが、

自分の身体が動く限りは、

自分で逃げるための「いざという時、運動」を怠らないで下さい。

小さな子供を持つ親御さんは

子供に楽をさせないで下さい。

走らせ、歩かせ、時折、不自由な状態に子供を置いて下さい。

誰かの手を待っている生き方は、

「迷惑」です。

偉そうなことを云っていて、私は自信がありません。

真っ先に、「助けてくれ!」叫びそうな。

でも、人が自分を助ける為に命を落とす事を想像したら、、、。

「自分の身だけでも、自分で守る」

全員がこれを思っていれば、失う命の数は減るはず。

防災の日に私が思う事は、

備えるべきは、「物」ではなく

極限の状態に置かれた時に動ける「身体」と「心」。

その為に、私は子供たちを走らせます。

「もう、走れない…」から出るエネルギーがある事を

体感させるために。

そして、自分自身が

子供を担いで逃げる為に。