フルーティスト編纂のTsuru-no-Sugomoriに挑んでいます。
五線譜と、そして編纂者ご自身(Will Offermansさん)の演奏が揃っているので、なんとかなる!と目をらんらんと輝かせて臨みました。
なんじゃこれは・・・
ほおお~・・・
尺八、すご!
というワードがぐるぐると回りながら。
古典に独奏曲を持たない篠笛というのは
先人からの遺産を持たない、ということに等しいのですが、
それに対して尺八の遺産の豊かさと言ったら!!
羨ましい~~
管楽器の奏法として、さまざまなものがふんだんに、
たった一曲のなかにも投入されています。
例えばフラッタータンギングは、鶴の鳴き声の描写に、
やたらめったら出まくります。
トゥルルルルルル・・・・
と、本当に鶴が鳴いてる感じが出ます。
タンギングなんて、下品!(意味がわからん)とある古典の演奏家に言われたことがありますが、ただのタンギングどころじゃありません。
フラッターですよ。
舌を高速で回すようにして行うタンギングの1種です。
それを、連発。
尺八という古くからの竹笛にフラッタータンギングが使われていた、ということ、わたしも今回学びました。
タンギングひとつとっても、このように
諸先輩方からの智慧と工夫、詰め込まれていました。
尺八を海外の方に解説していただいていますけれども、
伝わってきます。
フルートでの演奏を篠笛にそのまま同じ実音ではめると
「音域足りない」とか
「指のその動き、無理すぎて、目指している効果出せない」
とか問題がわんさかと湧いてきました。
曲の解釈から、目指している表現を重要視して、新たに再創造(は言い過ぎですね)編纂する、という作業になりました。
篠笛でやるとこうなりました、という姿です。
ですから、尺八の方が聴くと、
「それは鶴の巣籠りじゃないよね」ときっとおっしゃるかもしれません。
かといって、わたしの作曲というわけでもないので、
「篠笛版 鶴の巣籠り 朱鷺たたら編」というお題が適当かなあと思っています。
そういうわけで、知的探求心を満たす作業が終わりまして、
篠笛版鶴の巣籠りの楽譜が完成しました。
数字譜で記譜しました。
五線譜で記譜するよりも合理的に伝わるだろうし、
伝える側もやりやすい、と考えた結果です。
わたしに教えてくれたのはフルーティストのWill先生だったというのが、邦楽のいまの現状を端的に表しているように思います。
海外を経由して、自国のお隣さんの楽器のことを学びました。
記譜が互いに全く違うので、一度共通言語を経由しないと、
まるっきりわからないんです。
Willさんにしたら、日本人同志ならすぐに教われるだろうになあ、羨ましいなーなんて思ってらしたかもしれませんけど、いやいや全く・・、です。
ほとんど暗号ですから。
いつか、邦楽器も記譜法が一律になるのでしょうか・・?
個人的には、それぞれの独自の記譜法と、五線譜の両方を読める、というバイリンガル状態が望ましいなと思います。
そうでないとアンサンブルの楽しみははるか彼方に霞んでいます。
西洋楽器とのアンサンブル時において、邦楽器演奏家が五線譜読めない場合は、西洋楽器の演奏家から寄り添ってもらうばかりの一方通行になってしまいます。
それでは、邦楽器のくせ、魅力を十分に伝えるのはきっと難しいでしょう。
いまや、五線譜は珍しくなく、義務養育過程で習えるので、バイリンガルになる道は開かれていますしね。
そういう理由で、自分の門下生はみな五線譜を学び、数字譜との併用を行っています。バイリンガルです。
記譜法に話が及びましたが、一番感嘆したのは、独奏曲を古くから持っている楽器の世界の豊かさです。
多くの演奏家がいらしたんだなあと思いました。
篠笛は同じ竹笛ですから、尺八の奏法に学べるところも多く、
有難いです。