さて、このたびのコンサートは琴のかりんちゃんがリーダーでした。
彼女のオリジナルを中心に、民謡や童謡もふんだんに取り入れられ、お客様に楽しんでいただけるものに工夫されていました。
かりんちゃんは琴弾きですが、歌も歌います。
ほぼ全曲歌うので、シンガーソングライターです。
そうなると、笛は普段は主旋律を演奏しているんですけど、そこは歌が歌うわけだから、違うことをせなあきません。
で、「全曲野放し」と相成りました。
楽譜には笛の旋律は書かれていないので、感性でいいようにやってくれ、というわけです。
野放しっていいようで、結構難しいねんなあ・・・。
楽譜に書いてあれば、楽やねんけど(できるできないはともかくとして)
曲の全体像を見通して、笛がどこにどういうふうに入れば、曲の良さが効果的に出るやろうか、と考えなくちゃなりません。
ただ、今回はリハーサルが一度きりの上、わたしにとっては知らない曲オンパレードだったので、ちょっと不安でした。
かりんちゃんからは笛の欲しいイメージが言葉で降ってきます。
「笛は風です。いつも吹いている風、激しかったり、穏やかだったり。
琴は地面で、太鼓はもっと地の下。笛はその上をずっと吹いている、そんな風です」
「わかったー・・・」
返事はええけど、ほんまにわかってるんか、わたし。
まあ、風といっても千差万別、人それぞれの風のイメージがあるわけで、つまりは美しい誤解の上に成り立つのだ、と開きなおりました。
わたしの発信するイメージがそのまま、お客様や演奏する他のメンバーに伝わるわけじゃない。
それは、受け手がそれぞれ感じるもので、こちらは操作できるたぐいのものじゃないから。
そうなんやけど!
わたし自身はしっかりイメージを固めなきゃなりません。
でたらめな音を出すわけにはいかぬのだ~~~~
っと今年最後のコンサート、割とハードル高かったです。
でも、メンバーは素晴らしかったし、乗っからせてもらって、結果的にはとても楽しみました。
勉強もできたし、有難かったなあ。
そしてさらに嬉しいことが。
雲南市といえば、もうその辺りたたらの跡がたくさん。
島根県はたたらの県です。
「日刀保たたら」といういまでは日本で唯一のたたら製鉄をおこなっている場所が、奥出雲にありますが、そこの技術者の長、木原明村下(むらげ:職人の長)がご夫婦でいらしてくださったのです。
木原先生は非公開の上、女人禁制のたたらへ、わたしを見学者として招き入れてくださった方です。
たたらの感動については、書き出すとえらいことになるので、また改めるとして、コンサートでも名前の由来についてちょっとお話しましたが、たたらのことを話すうちに感動が蘇り、また木原先生の姿と相まって、また涙がどおーーーっと出そうになったところを、かりんちゃんに救ってもらいました。
やばかった。
笛は泣いたらアウトー。
年のせいか、確実に涙もろい。
年が明けると、極寒の出雲でたたら操業が行われます。
どんな最先端技術をもってしても、たたらで得られる鉄にはかなわないのです。
魔法のようなたたら製鉄の技術は、細々と人から人へしか伝えられません。
楽器の習得もそうですが、こういった人づてに継承されていく目に見えないものを、本当に大切にしたいものです。
大震災、そして原発事故の後、命や健康よりも経済を優先するという考えが顕著に見え、戸惑い続けてきました。
命も健康も、人づてに伝えられる技術も、お金じゃ買えないし、目にも見えないけど、確実にあるものやと思います。
目に見えるものもいっぱい欲しいけど!
楽器の習得という経験を通して思うことは、このように得られた技術や芸は、魂の喜びと言えるんちゃうかということです。
さあ、来年も魂が喜ぶことをいっぱいしよう~。
みなさんもぜひご一緒に!
では美味しい年越しそば召し上がって、よいお年をお迎えくださいませ。
ありがとうございました。