多摩市南部民が、FC町田ゼルビアを応援する正当性・笑。 | たたみすとの日常

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仕事もサポーター活動も一生懸命。老舗畳店四代目の雑記帳。

 こんばんは。軽い気持ちでお読みください・笑。

 自分は、本来、東京ヴェルディさんのホーム・タウンである多摩市に在住している者ですが、自分を含めて、多摩市内に在住、もしくは多摩市出身のFC町田ゼルビア・サポーターは少なくありません。そりゃそうです。多摩市の、特にニュータウン地域に住む者にとって、町田市立陸上競技場は、味の素スタジアムよりも、はるかに近いですからね。


【多摩市南部地域の地図】 字が汚くてスミマセン



 ご存知の方も多いかと思われますが、南北に接し、東西に2キロ以上の市境を接する多摩市と町田市は、多摩ニュータウン計画によって、数回にわたり、市境の変更を行っている訳なのですが、もっとも大きな変更は、1973年12月に行われました。大まかではありますが、上記の地図の赤の斜線の部分が、多摩市内の、もともとは町田市小野路町(地図の左側=西側の一部は、下小山田町)だった部分です。現存の南野という地名は後から付けられたもので、合併当初は多摩市小野路町、多摩市下小山田町が存在していたんですよね。あと、現在の唐木田3丁目が、多摩市上小山田町だったですね。実に紛らわしい。小野路町の名残は今も多摩市の中にあり、南野~永山6丁目にかけて、小野路第1~第4公園があるし、落合団地の南側にある給水塔にも小野路の名が残っています。

 自分の住んでいる地域は、もともとは雑木林しかなかったようなトコで、わずかな集落に住んでいた現在の鶴牧商店街の店主の皆さん(ウチのお隣は新撰組との交流で知られる小島家の方)や、尾根幹線沿線に古くから住んでいる方々は、鶴川中学の出身なんです。この地図を見ますと、生まれた時にはすでに多摩市になっていたものの、もともとは町田市域だったトコで生まれたサポーターさんもいますし、FC町田ゼルビアの、ある選手の実家(笑)も、この範囲内にあります。魂は町田ってことです・笑。

 かくいう自分ですが、本家は多摩市立多摩中学のそば。幼少時を聖蹟桜ヶ丘駅の近所で過ごし、小学校3年生の途中から多摩市落合4丁目6番地の高層住宅に引っ越し。現在は多摩市鶴牧5丁目の商店街で暮らしています。いずれも、旧・町田市域から外れていました・苦笑。住所はアウェーですが、これからも応援させてくださいね!。




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