醤油の歴史と「くっだらないー」の語源 |         きんぱこ(^^)v  

        きんぱこ(^^)v  

  きんぱこ教室、事件簿、小説、評論そして備忘録
      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

 醤油って、基本的には大豆を蒸して炒った小麦を混ぜて麹(こうじ)を造り、塩と麹を混ぜ合わせて1年ほど発酵させて出来たものを絞って出した液体ですね。(昔、近所に醤油屋さんがありました・・)


【醤油のルーツ】

 醤油ってルーツだけを言うと、なんと弥生時代にあったそうです。(大豆が縄文時代、小麦は弥生時代)


 昔は魚を元に醤(ひしお)というものを作っていたみたいです。


 奈良時代に中国から製法が伝わったらしくて、しかし、当時は食物にかけるのではなくて、直接なめていたみたいですよ。


 平安時代までは醤(ひしお)と呼んでいたみたいです。


【平安時代の調味料】


 平安時代の宮中の食事に付く調味料は、「酢」「塩」「醤」「酒」だったそうで、四種器(よぐさもの)と呼ばれていました。

 足の付いたお盆みたいなやつ(高杯:たかつき?)に食事を載せて、四種器(よぐさもの)を好みに応じてつけながら食べたと言われています。

 庶民はどうかというと、そんなものはなくて、塩と酢を付けて食べていたと言われています。


【醤油がたくさん造れるようになった】


 現在のような醤油が造られて、調味料として使われるのは室町時代からだそうです。発祥は関西地方ですが、造り方は秘伝として伝えられたみたいです。


 庶民に広まったのは、関西では江戸時代初期、関東などでは江戸時代中期以降です。しかし、地方によっては、独自の製法で醤油が使われていたと想像はできますが、確証はありません。



【くだらない】


 醤油や酒って江戸時代は上方(京都大阪)のものが「高級」だったんだそうです。


 江戸では高級な酒や醤油などは「下りもの」と言って高価な物として扱われていたらしいです。それに反して江戸近辺で作られた酒や醤油は大したことがなかったらしく、上方から来る「下りもの」に対して「下らないもの」と呼ばれていて、それが「くっだらないー」という言葉の語源になったそうですね。


 なんとなく、平安時代の宮廷ではどんな食事をしていたかを想像できるようになって来ました。


【平安時代】


 女性は髪が長いほど美人と言われて、宮中では常に扇子を持ってあまり動かなかった。

 髪は年に数回しか洗わない、肌は恐らく水桶のようなものに水を汲んできて布で拭いていたのではないかと思われる。

 女性の身長は低く、平均で140センチ程度だったと言われている。

 食事の調味料は塩、酒、醤油、酢だった。

 男性に顔を見せるのははしたないという風潮があった。

 男性とのやり取りは主に手紙や詩で行われた。

 平安時代にもスッポン料理はあった、貴重な蛋白源になっていたらしい。

 化粧の質は悪く、笑うだけで化粧が崩れるほどだった。(だから扇子で顔を隠す)

 

 ほかにも色々判ってきました。


 未来と平安時代をどうやって結びつけましょうかね・・・。