「三十にして立つ、四十にして迷わず」 |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

孔子の論語


「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」


十五で勉強に目覚めて


三十で自分が置かれた場所で、やってゆくべきことを認識して、腹をくくって歩み始め


四十になって迷うことなく。


五十になって自分の天命が何であったかを知る。


六十になってやっと人の言うことを素直に聞くことが出来るようになった。


そして七十になってやっと自分の思うことを道をはずさないように振舞うようになれた。


私的な解釈ですが、こんな感じでしょうか。


10代、20代って、一部の人を除いて、


「自分はどんな人生を送るのか」、

「自分は何をやりたいのか」、

「自分はいったい何なんだ」、

とか、何も考えていないとか。


そんな中で、

「俺はミュージシャンになるんだ」

「俺はノースで乗れるサーファーになるんだ」

「(なんでもいいから)いっぱしの輩になるんだ」

逆に

「おれなんか何にも出来ないんだ」


はたまた、

「女を制覇するんだ」

(男って若いときは大なり小なりセックスや女に対してコンプレックスを持っているのかもしれません)

などと思うやつもいるだろう。


女性のことはわからないけど

上のように思っている人もいるだろうし(男を制覇するってことはないかもね)

「おしゃれしてきれいになりたい」

「自分の心のよりどころを見つけたい」

そんなことを思っているのかな・・・。


そして、自ら稼ぐ仕事を始めて、また考えが変わってゆく。


失敗や挫折をしても考えが変わるでしょう。


逆に言えば、考えを自由自在に変更できる。


ソフトバンクの孫社長のように大きな夢を追うならば早いうちからはじめないと人生が足りないし、


一流企業に入るとやはり年収が全然違うからそれをまず確保するには早い内から勉強するしかない。


「そんなもん関係あるかい」


と単車を乗り回していてもその世界や相手は常に警察という組織でもあって、自然と縦社会というものを体で体得してゆく。


(だから中小企業の社長なんかは、元暴走族(言葉古いかも・・・)出身者が多い、痛みがわかって人の心が読めて、そんななかで人との駆け引きを身につけているからでしょうね)


サーファーなんかはだめですね。会社経営という意味では。


けどサーファーって、夢がはっきりしているはずです。


みんなが経営者目指しているわけではないし。


多くの人は、20代くらいでぼちぼち自分の生き方に腹をくくってやってゆこうと考え始める。


けど、まだまだ迷いが多くて、すぐに挫折したりしてしまいます


30歳を超えると、そこそこ色んな経験をして世の中の地平線水平線がそれなりに見えてくる。


そこで自分の周りを見渡して、「こうするんだ」「こうするしかないんだ」と腹をくくります。


まだ30代は若い方なので夢や理想があって、それをかなえられない不満もありますが、体も丈夫で先を見て生きてゆける歳ですね。


そこで三十にして立つ


40歳になったら、少し変わってきます


何が変わるでしょう。


・自分の体に本当の意味での体力の衰えを感じる。

・知らぬ間に自分のスタンスが固まってしまっている。

・人生後半に入ったという意識が芽生える

・記憶力の衰えに愕然とする

・背負った責任や歩んでいる人生を捨てられない

・ぼちぼち身の回りの大切な人などがこの世を去ってゆく。

・社会的責任やわが子のことや、今の自分を捨てるわけにはゆかないことがある


しかし、この歳は精神力が一番伸びる歳ではないでしょうか


このあたりは、10代20代の人には理解しにくいところ。


40にして迷わずというのは、「40の手習い」という言葉もありますがそれは趣味副業の話だと思います、もう最初からやり直す歳でもなく、今まで自分が歩んできた事、考えてきたこと、経験した事を基にして腹をくくって生き方を決めてしまいなさい・・ということだと思っています。


50歳から後は・・・・・・私には答えられません。


また、書きますね。





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