古代の大阪
5世紀前後の大阪は地図の濃いいブルーの部分が高地で、薄い部分は沼地または海だった。

ここに、集落が建ち始め、やがて日本最古の都市と言われている「難波宮(なにわのみや)」が建つ。
そして、日本の歴史は、ここから平城京へと移り、長岡京、そして平安京となってゆく。
尚、平安京に遷都される前の二年間は京都の長岡京に長岡京と言う都が作られたがこの時に難波宮の屋根や柱を利用したらしい。
つまりその頃は難波宮後は機能していなかった。
運搬にHS淀川が使われた。
古代の建造物は、大阪中央区(谷町4丁目東)にあるNHKの前に立てられている。
このような建物が、今のNHK,大阪城、難波宮周辺に建っていたらしい。
建造物の直ぐ南は海だった。
また、上の写真の上に流れる川は淀川だが、淀川は今の位置ではない。
北区の毛馬(けま)と言うところから桜ノ宮、天満橋そして淀屋橋のある中之島にかけて大川と言う川が流れているが、昔の淀川は、この大川が本流で、十三(じゅうそう)と梅田の間にある現在の淀川は、昔は無かった。
現在の淀川河口はずっと後に作られた。
ここに、日本最古の都市と言われている難波宮が建立される。
大阪の堺に日本で一番大きな古墳でおなじみの仁徳天皇陵がある。
本当に仁徳天皇陵かどうかは定かではないらしい。
仁徳天皇のころは、高津宮と呼ばれていたらしく、難波宮より古いが正確な位置が特定できていないらしい。
大阪の歴史は、この難波宮から始まったといっても過言ではない。
(現在の難波宮跡、ピンボケですいません)
手前は阪神高速の法円坂。
撮影はNHK10階より撮影。
同じ位置から見た古代の難波宮のイメージ。
難波宮は前期と後期に分かれており、前期の難波宮は平城京になる前に火事で消失してしまう。
それ以来、現在まで大阪に遷都されることはないのは周知のことだ。
(この記事は後々情報を付け足してゆきます)