人は何においても、
許容範囲と言うものがある。
怒りの許容範囲、
悲しみの許容範囲、
我慢の許容範囲、
・・
そして、これらの許容範囲から逸脱しないように努力と調整を行いながら生きている。
この許容範囲の大部分は幼少の頃に形成されて、成長するにつれて、調整、修正されながらすこしづつ大きくしてゆく。
どんな人間でも、この許容範囲以上の事を外部から受けると、取り乱す。
そして、その内容が心に関わる事なら、自分で形成されかけた許容範囲を自ら潰してしまう。
いや、粉ごなに潰れてしまう場合がある。
例えば、子供は無条件に親には甘えられるものだと思っている。
しかし、躾や親どうしのトラブルなどにより、許容範囲を作り出す。
許容範囲を造るのは、不安に対する自己防衛だ。
だから、子供に対してはギュッと抱きしめて、「私は君の味方だよ」、と伝えてやらねばならない。
ここで、もし、親に虐待されたり、ましてや、目の前で親が殺害されでもしたら、許容範囲など簡単に吹っ飛ぶ。
許容範囲が無くなるので、自己防衛のために外部との接触を絶つことになる。
また、悪いトラウマが、大きな影響を与えて、自分を支えきれなくなる。
しかし、自己の不安を解消させるために崇拝者を探し出す。または作り出す。
そうするしかなくなるのだ。
崇拝者は架空で絶対のものが多い。時には架空で絶対の自分自身をも造る。
前者が犯人、後者がハンニバルではないだろうか。
この映画に連続して、「羊たちの沈黙」がある。
映画は、「羊たちの沈黙」のほうが公開が早かった。
どちらから先に見ても構わない。
人間、心の孤独には耐えられないはず。
皆さんはこの映画を観て、どう感じるのだろう・・・。
私は愛情の重要性を感じる映画だった。
この映画は1988年に『レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙』
として映画化されたが
羊たちの沈黙、ハンニバルの大ヒットを受けて2003年に再映画化された。
【ストーリー】
文章で書くと残虐極まりない。
オーケストラの下手なフルート奏者を殺して
同じ楽団のメンバーに人肉とは伝えずに
料理してご馳走するところから始まる。
ここで、ハンニバルはFBIに捕まり、拘束される。
FBIは一見カッコいい。
しかし、家族や子供を持つ身ならば、この仕事ができるだろうか?
いつも死と隣り合わせ。
時にはマフィアに化けて、組織の中にも入ってゆく。
ばれると終わりだ。家族の家に牛の頭や石ころの入った靴が届けられる。
「殺される」ということだ。
新しい犯罪が発生した。
レッドドラゴンを崇拝するその殺人鬼とFBI、そしてハンニバルとの関係は・・・。
監督 ブレット・ラトナー
出演 アンソニー・ホプキンス 、エドワード・ノートン 、レイフ・ファインズ 、エミリー・ワトソン 、フィリップ・シーモア・ホフマン 、メアリー=ルイーズ・パーカー