強制連行の苛酷な惨状を見た | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

強制連行の苛酷な惨状を見た

渋木喜一郎さん

昭和2年5月27日生まれ

昭和20年7月10日国民総動員法で徴発

大湊海軍、大湊海兵団施設部第3部隊

強制連行の朝鮮人労働者の労働現場を目撃する

昭和20年8月14日の夜、兵隊と朝鮮人の姿が全部急に見えなくなった





太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し




消してはならない記憶


昭和19年8月、18歳の私は白紙召集で海軍軍属として徴用された

純真無垢の私は戦意高揚に大きな役割と何の疑いもなく参じた

適齢期に達しないのに嬉しかった

小学校時代からそういう教育を受けていたんだから


行き先は青森県大湊海軍施設部第3部隊に所属された

宇曽利地区にあった


鍛冶屋の子だから工作兵として隧道掘りの道具、カスガイ、スパイキ釘の製作に当たる

仕事は厳しく少々力不足でつらかった

一番年少者で製品の配達で現場道の往復係りに


そこで強制連行の朝鮮人工員と接し、彼等の厳しい重労働、リンチ、現場監督のすごい怒声など一切を直接、私はこの目で見た


パンツ一枚のドロンコ

外は小雪舞う初冬

どの顔も青ぶくれ

骨と皮のガリガリ人間

強制連行され、あわれな朝鮮人の姿だった


「てめいら怠けていると残業が待っているぞ」監督の怒声

極秘とされたトンネル掘り

危険な所、大儀な仕事が彼等の担当


食事は金の茶碗に朝は一汁一菜、昼は副菜一品、これがあの重労働に堪えてゆく二食分

めしたるや大麦の赤皮かぶりが三分の一


昼は陽だまりに肩を寄せ、山の草をかみ、谷の水を求め、アリランを涙と共に歌っていた

午後4時のオヤツ、穴だらけの動物用ジャガ1個

無残なリンチ

娯楽は皆無

泣きながらのトロ押し


19年晩秋、大湊の山の中、地下工場建設のツルハシ戦士だった






現在、北朝鮮の拉致問題について継続的に交渉を行っている

日本の民間人が北朝鮮に拉致されているのだ

先の戦時中には、日本が拉致をしていた

そして耐え難い重労働を負わせていたのです

そのことについての謝罪は成されていない

あの、戦後処理が終わってない状況で

今回、拉致されたと文句を言っても通用しないのではないか


日本は他国から先に攻められたことは一度もない

全て日本から侵略したものです

今後も今の日本は攻められることは無いはず

しかし、脅されたり拉致されたりはある

平和であっても平和とはまだまだ言えない状況です


日本から仕掛けて来た歴史があるなら

日本から謝罪の気持ちを伝えて

平和な友好な効率の良い外交を始めたらどうかと思う







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