命令されて捕虜を刺した私 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

命令されて捕虜を刺した私

黒田千代吉さん

大正13年10月15日生まれ

昭和19年9月召集(20歳)、訓練後、第27師団第2連隊満州へ

昭和20年2月131師団独立歩兵591大隊に転属





太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し




三千キロの行軍をして、何十万といる敵のど真ん中で、炎天下銃剣術の特訓を受けていた

油断は絶対許されない

生か死かの狭間で銃声、砲声がしている状況だ

百戦錬磨の分隊長は、眼光鋭く輝き、一寸の隙もない形相で一挙手一投足まで厳しく指導する

「やああー!」と銃剣を突く見本を見せる

「声が小さい!」

「気合が足りない!」

容赦なく鞭が飛ぶ


「これから前方の敵を突く!我と思わん者は出てこい」

敵が見えない

誰も出ていかない

「前々突け!」の反復練習で前進すると、目隠しの捕虜が見えた


分隊長は

「誰か出てこい」と顔を真っ赤にして号令する

誰も出てこない

切羽詰った生き地獄だ

突くのは嫌だ

沈黙が続く

刻一刻と時間が経つ

長い長い時間に感じた


分隊長は「貴様達!日本帝国の軍人か!命令に背けば敵前逃亡罪で銃殺だ」

隊長助手の上等兵が銃に弾を込め、我々に向けた

「名前を呼ばれたら出てこい」と鞭をたたきつける

「黒田!」と呼ばれた

いの一番、銃殺と観念した


恐る恐る分隊長のもとに行った

心臓がどきどき

膝ががたがた

銃を持つ手が震える


上等兵は銃口を俺に向けた

絶体絶命の窮地だ

銃殺されるより、相手を突くほうが助かるとの咄嗟の判断で

銃に剣を着け

2,3歩前進して

「やあ!」と身構えた


分隊長は

「よおし、俺について来い」

脱兎のごとく走る

遅れじと走った

「構え銃」

咄嗟に構えた

夕日に映えて、ピカッと剣が光った

「前の敵を突け!」


腹からの爆発した号令

「やあ!」

と、心臓めがけて踏み込みざま突く、抜く

その間、百分の一秒たらずの一瞬であった


命令とはいえ、残酷、無情

初めての体験

戦場の知られざる真実を生きた昭和史として

ありのままお伝えいたします

戦争は大嫌い

平和が大好きです


平和は、平和を愛する心を持った人によって築かれるものだと私は確信します

平和を守るため憲法9条を国民運動として

世界全体に広め

核兵器のない平和を皆様と手を携えて築きましょう


昭和20年8月19日終戦を知る

昭和20年9月10日安慶郊外の警備

昭和20年10月5日安慶大学に集結、武装解除

昭和21年3月31日博多港着、復員




☆ サイパンを知ろう


☆ サイパン島戦没者供養

☆ サイパン戦

☆ テニアン戦

☆ グアム戦

☆ 引きずった戦後処理問題

☆ 証言記録 体験者は語る