テニアンに供養に行こう 第二部
次にサイパンのチャランカノアに米軍が上陸した後
テニアンからその上陸地に対し猛烈な砲撃を撃ち込んだ
ウシ岬(牛崎)が一度見たかったため
ガイドにお願いし向ってもらった
荷台の我々は振り落とされそうな道を15分ほど我慢し
やっと到着したところはテニアンの最北端で
サイパンに一番近いポイントです
ウシ岬
向こうに見えてる山がタポチョ山
タポチョ山の手前の海岸がチャランカノアだ
ここには地元の碑がいくつか建てられていた
これはこの海峡を通る船の遭難者を祀るものだった
こんどは行きに来た道を再度帰ります
身体がどうにかなりそうなくらいガタガタになってきてました
次に米軍上陸地点にレッツゴー
相変わらず道は悪いです
ここまでの道中の地域は
日本軍が米軍上陸の際に激しく抵抗した場所
そして夜襲で2500名もの死者をだした場所でした
チュルビーチ 米軍上陸地
この海岸の砂は手の平に乗せてよーく見てみると
沢山の星の砂が混じってます
珊瑚礁がこのような星になったものですが
これは土産になりますね
そして今度は南に向けてゴー!
ラソ山の右側を走りぬけます
ガイドは予定のなかったラソ山を目指して左折しました
ここは日の出神社から司令部を移転した場所です
夜襲の際に陸軍はここに集結した
ラソ山から米軍の上陸地点を見るため
高台に目指して深い草むらを掻き分け登りました
登ったのはいいけど帰りが更なる重労働となりました
そして更に南に向かい
どうしても寄りたい、今回の目的地である
カロリナス台地を目指します
カロリナスに差し掛かったときに
ガイドは道無き道をジャングルの中に突進して行きます
我々は荷台で、どうにでもなれとばかりに
揺れに任せて放心状態です
20分ほど揺られた先には
ジャングルの一部を綺麗に刈り取った箇所に出ました
ここは海軍の司令部跡地でした
洞窟の入口には手すりが設置されてました
その手すりには太いロープが下げられていた
勇気ある我々は真っ暗の洞窟を下りて行きます
階段下の洞窟内はジメジメ湿っており
広い空間でした
しかし、奥にも、そのまた下にも入っていく穴があります
海軍司令部は3段の洞窟になっているらしかった
とても危険でその下までは行けません
テニアンでの生還者である金谷さんに、
この洞窟のことを聞きましたら
何人も自決しているということでした
予想ですが
第一航空隊司令官角田中将は
手榴弾を持ってこの洞窟を飛び出し近辺で自決をした
そして参謀長と数名の参謀、第56警備隊大家吾一大佐らは
司令官の後を追いこの洞窟で自決した
遺骨収集団らはテニアンで半数の遺骨を掘り出し
日本に帰ることができましたが
この洞窟では長野の登山隊によって
洞窟内を調査されている
カロリナスの台地は高くはないけど
岩が多く身を潜めるのは適した場所でした
次にカロリナスの台地を登り
不気味な神社にたどり着きました
鳥居があるから神社には違いない
階段を登ると「天仁王神社」とありました
頂上には、こま犬のようなものが「あ、うん」で一対になってます
そのまま無傷で残っているのも珍しいです
不思議でしたので帰ってから
金谷さんに聞いてみると
これが住吉神社だということでした
生き残りの日本兵も何度もこの地を訪れていたらしい
そしてカロリナス台地から最後の玉砕突撃をした場所が
この神社の麓あたりではないかと推察します
北側からカロリナス台地を見た
写真の左手に住吉神社がある
こうして要所をまわってこれました
ピッチをあげれば半日
ゆっくりまわれば食事も途中に入れ1日です
食事はダイナステイホテルで食べました
このホテルにはカジノがあります・・・
ここで全員で記念写真を1枚
お疲れ様でした
テニアンからその上陸地に対し猛烈な砲撃を撃ち込んだ
ウシ岬(牛崎)が一度見たかったため
ガイドにお願いし向ってもらった
荷台の我々は振り落とされそうな道を15分ほど我慢し
やっと到着したところはテニアンの最北端で
サイパンに一番近いポイントです
ウシ岬
向こうに見えてる山がタポチョ山
タポチョ山の手前の海岸がチャランカノアだ
ここには地元の碑がいくつか建てられていた
これはこの海峡を通る船の遭難者を祀るものだった
こんどは行きに来た道を再度帰ります
身体がどうにかなりそうなくらいガタガタになってきてました
次に米軍上陸地点にレッツゴー
相変わらず道は悪いです
ここまでの道中の地域は
日本軍が米軍上陸の際に激しく抵抗した場所
そして夜襲で2500名もの死者をだした場所でした
チュルビーチ 米軍上陸地
この海岸の砂は手の平に乗せてよーく見てみると
沢山の星の砂が混じってます
珊瑚礁がこのような星になったものですが
これは土産になりますね
そして今度は南に向けてゴー!
ラソ山の右側を走りぬけます
ガイドは予定のなかったラソ山を目指して左折しました
ここは日の出神社から司令部を移転した場所です
夜襲の際に陸軍はここに集結した
ラソ山から米軍の上陸地点を見るため
高台に目指して深い草むらを掻き分け登りました
登ったのはいいけど帰りが更なる重労働となりました
そして更に南に向かい
どうしても寄りたい、今回の目的地である
カロリナス台地を目指します
カロリナスに差し掛かったときに
ガイドは道無き道をジャングルの中に突進して行きます
我々は荷台で、どうにでもなれとばかりに
揺れに任せて放心状態です
20分ほど揺られた先には
ジャングルの一部を綺麗に刈り取った箇所に出ました
ここは海軍の司令部跡地でした
洞窟の入口には手すりが設置されてました
その手すりには太いロープが下げられていた
勇気ある我々は真っ暗の洞窟を下りて行きます
階段下の洞窟内はジメジメ湿っており
広い空間でした
しかし、奥にも、そのまた下にも入っていく穴があります
海軍司令部は3段の洞窟になっているらしかった
とても危険でその下までは行けません
テニアンでの生還者である金谷さんに、
この洞窟のことを聞きましたら
何人も自決しているということでした
予想ですが
第一航空隊司令官角田中将は
手榴弾を持ってこの洞窟を飛び出し近辺で自決をした
そして参謀長と数名の参謀、第56警備隊大家吾一大佐らは
司令官の後を追いこの洞窟で自決した
遺骨収集団らはテニアンで半数の遺骨を掘り出し
日本に帰ることができましたが
この洞窟では長野の登山隊によって
洞窟内を調査されている
カロリナスの台地は高くはないけど
岩が多く身を潜めるのは適した場所でした
次にカロリナスの台地を登り
不気味な神社にたどり着きました
鳥居があるから神社には違いない
階段を登ると「天仁王神社」とありました
頂上には、こま犬のようなものが「あ、うん」で一対になってます
そのまま無傷で残っているのも珍しいです
不思議でしたので帰ってから
金谷さんに聞いてみると
これが住吉神社だということでした
生き残りの日本兵も何度もこの地を訪れていたらしい
そしてカロリナス台地から最後の玉砕突撃をした場所が
この神社の麓あたりではないかと推察します
北側からカロリナス台地を見た
写真の左手に住吉神社がある
こうして要所をまわってこれました
ピッチをあげれば半日
ゆっくりまわれば食事も途中に入れ1日です
食事はダイナステイホテルで食べました
このホテルにはカジノがあります・・・
ここで全員で記念写真を1枚
お疲れ様でした